ある老作家の人生<等々力短信 第1123号 2019(令和元).9.25.>2019/09/25 07:01

 2月の1116号で乙川優三郎さんの『二十五年後の読書』を紹介した。 最後に著者が仕 組んだのは、老境のスランプに陥った作家が書き下ろしの新作に挑み、生きる気力を失っ てスールー海で静養中の愛人の書評家に、編集者がその書評を依頼に来る話だった。 そ の題名は『この地上において私たちを満足させるもの』(新潮社)と長い。

 高橋光洋(こうよう)は、71歳になる今も小説を書いているが、二、三十枚の短篇しか 書かなくなっていた。 胃癌の手術後、故郷の反対側、御宿の高台に海を見晴らす終の棲 家を求め、家政婦としてフィリピンから来て5年のソニアと暮らしている。

 高橋家は、東京の下町で大衆食堂を営んでいたが、父が出征、祖父母と母と兄は店員の 縁故で袖ケ浦に疎開した。 家は東京大空襲で焼け、復員した父は虚無感から働かず、戦 後は農業と母の担ぎ屋で暮す貧苦のどん底の中、光洋は生れ育つ。 4歳の時、父は肺結核 で死んだ。 16歳の冬が最初で、心臓に強い痛みを覚える発作を繰り返すようになる。 彼 は、これからはいつ死んでもいいような生き方をしなければなるまいと、考えた。 よく て40年の人生と思い定めて、残る20余年を有意義に生きる。 自分らしい生活を築き、 世界の知恵から学び、誰かを愛し、酒と料理の美しい食卓を愉しむ。

 母が妊娠して家を出、兄が五枚の田圃と生活苦を背負う。 臨海部の製鉄所に勤めた光 洋は、独身寮で読書と音楽に慰めを求めた。 旬の作家に有吉や曾野、庄司や五木がおり、 「ゲバラ日記」、ヘミングウェイやチェーホフやユゴーから世界のありさまや人間を学んで いった。 スペインになんとなく憧れて、いつか外国へ行くために、英語を独学した。 社 員の事故死の労災認定で会社を告発する先輩に誘われ、少し関係したことで、年収の数年 分を得、退職して世界旅行に旅立つ。 パリの丘の上の下町、ベルヴィルで絵の修業をす る日本人女性の部屋、スペインのコスタ・デル・ソルでヘミングウェイの息子と称する乞 食の家、マニラの白タクの運転手ドディの家を泊まり歩く。 ドディの妹、シングルマザ ーのラブリイの娘の教育資金に、カジノで一か八かの勝負をして得た大金を渡し、会議場 での働きぶりを見て誘われたパラオのホテルへ旅立つ。

 帰国し下落合の御留山で、新人賞を目指す作家生活に入り、佐川景子という編集者に恵 まれる。 50歳で名のある文学賞を受賞した後、優秀な編集者で未亡人、46歳の矢頭早苗 と月島に住む。 早苗は明るく、光洋をよく励ましたが、忙し過ぎて先に死んだ。

今日という日をとにかく生きて笑う。 老いても精魂を傾けることがあるのは幸せだと 思う。 たとえ十行でも佳い文章が書ければ作家の良心を維持できる。 共に暮らす素直 で勉強家のソニアは、日本永住を決意した。 ドディの孫娘だった。

                                  (轟亭・馬場紘二)

 「『桃源の水脈』を尋ねて」を7月の1121号に書きましたが、リニューアルされた大倉 集古館で、『桃源郷展』―蕪村・呉春が夢みたもの―が開催中です。 11月17日まで(月 曜休館)。 呉春、幻の屏風初公開!―蕪村から呉春へ、受け継がれる思い。 大倉集古館 は、東京都港区虎ノ門2-10-3 電話03-5575-5711  http://www.shukokan.org

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