密着400日、小栗旬、仕事の流儀2022/05/11 07:00

 5月3日放送の『プロフェッショナル 仕事の流儀』「小栗旬スペシャル」を見た。 和田侑平ディレクターの密着400日。 小栗旬、39歳。 答えがないと思っている、流儀なんか一つもない、と。 もともと、心配性、小さい。 内気な少年が、学芸会で芝居をしたら、喜んでもらい、快感を味わった。 なぜ大河ドラマの主役を受けたか。 人間力が試される現場、大きくなるだろう。 毎週見るドラマとして、面白ければ、勝ち。 いつか有名になりたいと思っていた。 それに近いところにいる。 若い時は、勢いと雰囲気でやってきた。 芝居がヘタ、年々芝居が難しくなっている、表現という作業が頭打ちになっていると思っている。

 大河が決まって、北杜市のクラブで乗馬、自宅の近くに建てた稽古場で殺陣、毎日100回素振り、日本舞踊を稽古している。 ジムで、ハンマーを振るって、肉体改造、節制。 ディレクターの第一印象は、ストイックな男。

 2021年5月28日、伊豆の国市、北条義時夫妻の墓へ。 役者は、もの、場所、時にすがる。 6月9日、『鎌倉殿の13人』1年4か月間の撮影、クランクイン。 小栗旬は、メイクのスタッフを始め、スタッフやキャストの顔と名前を覚える。 家族のようなものだから。 本番前はみなマスクをしている。 小栗は、自分のマスクに手書きする。 「ガッキー」、「条北」(北条が反対になった)、「(初)二朗」、(差し入れの)「大泉パンありがとう」など。 頼朝の大泉洋は、そのマスクを見て笑い、「気分が入らない」と言う。 これは、小栗旬なりのコミュニケーション。 本来は「人見知り」だというが、楽屋にはほとんどいないで、だれか出演者に声をかけている。 伊豆の武士、仁田忠常役の初出演、ティモンディ高岸宏行に、レギュラー番組何本あるの、とか。 演技は、リラックスしているところから始まる。

 7月8日、伊豆の国市、明日第1話の収録なのだが、和田ディレクターが妻の出産で、立ち会うか、密着継続か、悩んでいる。 家族か、仕事か、小栗も一生悩む、と。 そんな会話中、夫人の山田優から電話があり、絶対帰ってあげて下さいと言って、と。 密着取材は、うちのマネージャーが撮るから。 7月9日、ディレクターは出産に立ち会った。 雨の中の撮影、小栗は自撮りもしていた。

  年内撮り続けても、番組成立しないよ。 『プロフェッショナル 仕事の流儀』、トーーン! で終わり。 乱暴な奴に(勝新太郎さんのような)憧れるけれど、本当は何もない。 この仕事が好きで、しがみついている。

 7月10日、密着取材再開。 小栗は、腹筋400回を日課にしている。 両足に重りをつけて、武士の歩き方を身につける。 20年来の仲間、和田義盛役の横田栄司は言う。 小栗旬は、手を付かずに、座ったり、立ったりする、なかなかできることじゃない。

 稽古ではフェースシールドをしている八重の新垣結衣に、頼朝は会えないと伝える場面、珍しく演出の吉田照幸に言い方を尋ねる。 どのように言えば、受けやすいか、相手のことを、周りのことを、いつも考えている。 自分より、誰かに、エネルギーを使いたい人なんだろう、と聞くと…。 それがエンターテインメントだ、と。 人が喜んだり、面白がったりするのが、好き。 自分を見つけてくれた最初のマネージャー、細川美由紀さんの期待に応えられない内に、がんで死なれてしまった。 「GTO」の後、「ごくせん」などでブレーク。

 8月31日、兄宗時の死を覚る場面の撮影で、(密着が気になったか)取材中断。 1か月半後、再開。 肉薄した部分、髄に触れたいと迫ると、30歳をすぎてキリキリすることがなくなった、と。 演じることで、誰かの人生の一ページになる。 そのために俺たちの人生の数ページを削る。 恩返し、今までここに連れてきてくれた人たち、支えてくれている人たち、いっしょに作品をつくっている人たちへの、恩返しだ。

フィリピンの平均年齢 25・7歳、日本は?2022/05/12 07:08

 フィリピンの大統領選挙の前、テレビ朝日のニュース番組で、マルコス元大統領の長男フェルディナンド・マルコス氏が優勢なのは、国民の平均年齢が25・7歳だからだ、というのをやっていた。 独裁者マルコスの記憶がなく、SNSを多用する世代にキャンペーンが有効だというのだ。 フィリピンの平均年齢が25・7歳というのに、びっくりした。

それで、日本国民の平均年齢はと検索すると2020年のデータで、48・4歳。 1955年から2020年のグラフで、どんどん右肩上がりになっている。 45~59歳、75~79歳の層が突出して多い。(worldometers)

2018年のランキングがCIA(アメリカ中央情報局)のデータにあり、1位がモナコで53・8歳、2位日本47・7歳、3位ドイツ47・4歳、5位イタリー45・8歳だった。

春の東京六大学野球、慶應のこれまで2022/05/13 07:06

 東京六大学野球、春のリーグ戦、三年ぶりに勝点制になって、3回戦もある。 神宮球場がプロ野球との併用日だと、延長戦がないので、引分も多く、10日は東大と早稲田、明治と法政の各4回戦だった。

 慶應は、東大に連勝、立教に2勝1分と、順調に勝点2をあげ、この勢いなら三連覇かと思われた。 そこで迎えた4月30日からの法政戦。

 1回戦は、4回に満塁に山本四球押出、善波の走者一掃の三塁打で4点先取したが、5、6回に法政今泉のスリーラン本塁打などで同点に追いつかれ、9回裏の法政、満塁に内海のレフトへのポテンヒットで惜しくもサヨナラ負けした。 投手は6回まで増居、7回から渡部、9回の橋本が負け投手だった。

 2回戦は、いきなり萩尾の先頭打者初球ホームラン、2対2の9回裏、再び萩尾のサヨナラホームランで快勝。 投手は、1年外丸が先発して4回1失点、生井、渡部とつないで、8回からの橋本が勝投手となった。

 5月2日の3回戦、0対4とリードされた8回、暴投と山本のツーラン本塁打で3点、9回には広瀬のツーラン本塁打で5対4と逆転に成功、勝点を取ったかと思われた。 投手は、先発増居、5回から渡部、7回から橋本とつないで、堀井哲也監督は9回裏法政の攻撃には2年白木を登板させた。 だが死球、死球で、1年外丸に交代、高尾を三振に取ったところで生井に交代、大柿に暴投で走者2、3塁となり、浮橋に交代、四球で満塁、宮崎を三振に取って二死、だが高崎に四球で押出5対5の同点となった。 斎藤にレフトへサヨナラヒットを打たれて、5対6、残念ながら惜しくも勝点を逃した。

 5月10日現在、明治が勝点3とリード、勝点2で慶應、立教、法政が勝率順で並び、早稲田が勝点1、東大が勝点0。 慶應は明日からの明治戦、5月28日からの早慶戦を残している。 明治は、5月21日からの立教戦がある。

慶應野球部出身のプロ選手活躍2022/05/14 07:06

 閑人だから巨人戦はだいたいテレビで見ている。 巨人は、意外な若手投手の活躍という好運があって、出出しは順調に勝っていたが、このところ坂本、菅野、吉川を欠いたこともあり、暗雲が漂い始めた。 その端緒となったのが、5月3日(火)からのマツダスタジアムでの広島三連戦だった。

 5月3日広島12-3巨人、先発赤星で負け投手。 5月4日広島3-6巨人、先発戸郷が勝投手、大勢12セーブがついた。 5月5日広島3-0巨人、先発メルセデスで負け投手、大城のヒット1本という貧打。 1勝2敗だった。

 この三連戦で、広島の慶應野球部出身、トヨタ自動車から入ったルーキー、中村健人(24歳、背番号50)が活躍した。 初戦は1回タイムリー二塁打で6点のうちの1点、二戦目は5回にタイムリーヒット、三戦目も5回にレフトにヒットでチャンスをつくり小園のセカンドゴロの間に生還、得点した。

 阪神の山本泰寛(慶應から巨人で4年、阪神に移って3年目。28歳、背番号00)は、5日のヤクルト戦で、押し出しのサヨナラ四球を選んだ。12日現在、24試合に出場、本塁打1、打率.237、四球7で出塁率.356。

 ヤクルトの木沢尚文投手(慶應から2年目。23歳、背番号20)は、8日の巨人戦でリリーフした8回を抑え、チームが9回に山崎の2点二塁打で逆転したため、勝投手になった(1勝)。12日現在、11試合に登板、1勝0敗、防御率0.5。

 セリーグは他に、中日の福谷浩司投手は10年目(31歳、背番号24)12日現在登板4試合1勝2敗、防御率3.84。 中日の郡司裕也捕手は3年目(24歳、背番号44)。7試合に出場、打率.286、四球4で出塁率.545。

 パリーグ。 オリックスのルーキー渡部遼人外野手(22歳、背番号0)。 ソフトバンクのルーキー正木智也外野手(22歳、背番号31)、柳町達外野手3年目(24歳、背番号32)12日現在、28試合、打率.352、二塁打5、三塁打1。 楽天に7年目で日本ハムから移籍の横尾俊建内野手(28歳、背番号61)、30試合、打率.180、同じく楽天に岩見政暉外野手5年目(27歳、背番号38)、3試合、打率.147。

野津田薬師堂、12年に一度の一期一会2022/05/15 07:31

野津田薬師堂

 5月8日の日曜日、第544回三田あるこう会があり、町田薬師池公園周辺を散策した。 小田急の町田駅にいつもの10時30分集合というので、「乗換案内」で調べると、田園都市線で中央林間まで行き、小田急江ノ島線に乗り換えるのが出た。 菊名からJR南武線で町田に行くのと、時間はほとんど変わらない。 中央林間駅は行ったことがなかったので、このコースで行ってみることにした。

 町田駅北口からバスで今井谷戸まで15分ほど乗り、23名で新緑の鎌倉街道を歩き始める。 町田薬師池公園「四季彩の杜」西園へ、ウエルカムゲートから入ると、実に気持よく整備されている、近年出来たばかりなのだろう。 階段を下りる道と、女坂というか車椅子でも行けるぐるぐる回る道があったが、後者をゆったりと歩く。 苺畑があり、急遽その前で写真を撮ることになったので、「こういうのを一期一会」と言ったら、岡部さんが誰かが言うだろうと思った、と。

 野津田(のづた)薬師堂へ降りる急な階段のところに、「スズメバチに注意!」の看板があった。 回り道は、相当な回り道になるというので、敢て階段を下りる。 野津田薬師堂、普光山福王寺の本尊 秘仏薬師如来は、たまたま12年に一度、寅歳の春に一月間だけ開扉、拝観できるのだが、この5月8日がその最終日だった。 それで、ふだんはあまりそういうことはしない私も、お堂に上がって拝観、お線香を上げ、狩野派の狩野信矩(のぶのり)の天井画、墨絵の龍と極彩色の天女も見た。 秘仏薬師如来は、行基が彫ったと伝わり、古来より眼病に御利益があるとして信仰されてきたという。

 この近在には薬師如来を祀った寺が25もあって、12年に一度、そろって「薬師如来霊場 武相寅歳開扉」を行なっている。 それが令和4年4月9日から5月8日までだった。 「武相(ぶそう)」は、鶴川(町田市能ヶ谷(のうがや))にある白洲次郎・正子夫妻の旧邸「武相荘(ぶあいそう)」で知っていたが、武蔵と相模の境ということだ。 25寺は、町田市、横浜市の緑区、都筑区、緑区、青葉区、大和市下鶴間までにまたがってある。