立ち小便を恥とせず、邏卒(らそつ・巡査)を恐るゝのみ2024/08/17 07:15

「横浜開港後、日本人の立ち小便の取り締まりを求める声が外国人から起こり」というのを読んで、福沢諭吉の言葉を思い出した。 『学問のすゝめ』六編(1874(明治7)年)「国法の貴(たっと)きを論ず」の結論に、こういうのがある。

「国法の貴きを知らざる者は、唯政府の役人を恐れ、役人の前を程能(ほどよ)くして、表向(おもてむき)に犯罪の名あらざれば、内実の罪を犯すもこれを恥とせず。啻(ただ)にこれを恥じざるのみならず、巧(たくみ)に法を破て罪を遁(のが)るゝ者あれば、却てこれをその人の働(はたらき)としてよき評判を得ることあり。」

「(中略)斯く国法を軽蔑するの風に慣れ、人民一般に不誠実の気を生じ、守て便利なるべき法をも守らずして、遂には罪を蒙(こうむ)ることあり。譬(たと)えば今往来に小便するは政府の禁制なり。然るに人民皆この禁令の貴きを知らずして唯邏卒(巡査)を恐るゝのみ。或は日暮など、邏卒の在らざるを窺(うかがい)て法を破らんとし、図らずも見咎(とが)めらるゝことあればその罪に伏すと雖(いえ)ども、本人の心中には貴き国法を犯したる故に罰せらるゝとは思わずして、唯恐ろしき邏卒に逢いしをその日の不幸と思うのみ。実に歎(なげか)わしきことならずや。」