「日本的経営者 武藤山治」2006/12/14 07:58

 11月7日の川口浩早稲田大学政治経済学術院教授の「日本的経営者 武藤山 治」から始めることにする。 小室正紀(まさみち)福澤研究センター所長の 紹介によると、川口さんは日本経済思想史(江戸時代)の第一人者で、早稲田 の野球部部長、神宮のベンチにその姿があるという。

 武藤山治(慶応3・1867-昭和9・1934)は、明治6年に7歳で制度が出来 たばかりの小学校に入学、14歳で幼稚舎から慶應義塾に入り、18歳で卒業、 アメリカに留学、27歳で三井銀行入行、翌年三井内部の人事異動で鐘淵紡績に 移り、64歳で鐘紡の社長を辞任するまで、その働き盛りの30数年間を鐘紡に 捧げた。 自分の言葉で「独裁的に支配」と言っているという。 当時の最先 端の教育を受け、近代的企業が始めて出てくる(どうやっていいかわからない) 時期に、近代的経営者として活躍した。 私生活では神戸の西洋館に住み、朝 食はコーヒーにトースト、東京の常宿は帝国ホテルだった。 川口さんは、武 藤山治には、そうした近代的で、モダンな「成功した経営者」という一般の評 価ではとらえきれない側面があるという切り口で、この日の話をした。 武藤 山治は、そうした外見的な見え方とは違って、案外、日本の社会に馴染んだ人 だったのではないか、というのである。

 川口浩さんは武藤山治を、江戸時代からの、19世紀末当時の日本社会が持っ ていた規範に則った「日本的経営者」「健全な常識人」だとする。 武藤の強い 倫理観、生真面目さ、真摯に全身全霊をもって働く真面目な人柄に、父親の大 きな影響をみる。 美濃国安八郡脇田村(今の岐阜羽島から車で20分)の地 方名望家だった父・佐久間国三郎は教育・学問に一定の関心を持ち、ポケット マネーで小学校をつくるような人だった。 読書好きで、儒教の本から福沢諭 吉の『西洋事情』まで読み、それが武藤山治の慶應義塾入学の端緒になった。