『時事新報』って、どんな新聞?2006/12/22 07:21

 坂井達朗さんが読み取った『時事新報』は、どんな新聞だったか。  まず紙面構成であるが、『欄』『見出し』『記事本文』の3段階構成になって いる。 『欄』には「時事新報」という(社説)(社告)、「公報」、「官報」、「賞 勲叙任」、「雑報」(電報を含む)…これが曲者で千差万別種々雑多の内容、「正 誤」、「寄書(投書)」、「漫言」、「気象」、「(商況)物価」、「広告」、「公告」、「(暦)」、 「(奥付)」などがある。 明治17年12月15日から18年5月25日まで、「朝 鮮事変」の『欄』が設けられたりしている。 紙面の構造は5段、1行24字、 50行、全部で4面(2枚)、内3面弱が記事、1面強が広告になっている。  価格は一日3銭、広告は案外安くて1行7銭。

 前提となる新聞が置かれていた条件を考えると、取材能力の低さ、情報入手 の便宜的手段によることが浮かび上がる。 通信社は日本には存在せず、『時事 新報』が通信社の役割を果していた(電報、日に200通)。 取材に当ってい た人数は、おそらく20人いなかったのではないか。 電話は試験段階で、有 線電信と郵便を使う以外なく、鉄道による取材もままならない。 外国情報は、 外国の新聞(アメリカ、中国の英字新聞、横浜のジャパン・メールなど)を入 手して(どうも定期購読ではなかったらしい、在外・通信員の郵送を待つ)翻 訳したりしている。 翻訳係がかなりいた。 国内、海外とも、福沢個人人脈 の情報が多い。 郷里に帰っている人が通信員や社友という形で記事を寄せ、 特別通信員を派遣してもいる。

つぎに報道の性格と内容。 報道内容は外国情報の比重が、相対的に高くな らざるをえない。 それは明治18年という特殊事情と、国内情報の情報収集 機会が散発的、偶発的であることによる。 全国紙ではあるが記事は東京に偏 重している。 官庁情報はくわしい。 福沢の人脈に引きずられているところ があって、たとえば荘田平五郎の消息などは細かいことまで報道している。