荘田平五郎と三菱の経営近代化2006/12/17 07:11

 荘田平五郎が三菱の経営近代化に、どんな役割を果し、功績があったか。  (1)管理的組織の整備。 昨日みた「郵便汽船三菱会社簿記法」の制定以下、 三菱社・三菱合資会社の会計・管理規定の整備を推進した。 三菱における近 代的簿記法の導入、複式簿記の採用(これに対し、例えば古河は明治30年頃 まで大福帳で、足尾鉱毒事件で必要になった100万円を借りようとして、渋沢 栄一の第一銀行に帳簿の整備を求められている)。 各事業所からの月次報告を 出させることで本社が情報を掌握する集権的管理の条件を整備した。

 (2)事業経営の多角化。 そのタネを蒔き、育てた。 一つは明治22・1889 年の三菱地所の丸の内計画。 もう一つは、銀行経営。 臼杵藩士族が共同出 資して設立した第百十九銀行を救済して、三菱合資会社銀行部をつくる。 そ れが日清戦争の時期に、ようやく三菱銀行になる。

 (3)造船・重工業の確立。 官営だった長崎造船所の経営を引き受け、改 革した。 政府からは八幡製鉄所についても打診があり、当時の三菱には造船 か製鉄かの選択肢があったが、造船を選んだ。 荘田は三菱の経営トップのま ま、自ら長崎造船所所長となって、家族を連れ長崎に行った。 造船所は修理 だけでも仕事が沢山あり、それは短期で回転し収益もあったが、あえてリスク のある新造船へと舵を切った。 大型船建造の指揮をとり、会計組織を改革し、 従業員の福利厚生にも配慮した。

 荘田平五郎の事業観の、「公」意識、企業の社会的貢献重視の姿勢というのは、 「財閥は人のやれない難事業を引き受けて国家に報いるべきだ」というその信 念や、事業の育成よりも目先の利益を優先したり、投機的な会社設立に奔走す る企(事)業家への批判にあらわれている。