京都六道の辻に『空也上人がいた』2012/08/05 01:25

 中津草介は、吉崎征次郎さんの家に通うことになった。 初日の朝、吉崎さ んはコーヒーを淹れて待っていた。 昼は洋食のデリバリイが手配してあり、 骨付きのとり肉と野菜を煮込んだ葡萄入りの土鍋、フランスパンにサラダやシ ャーベットもついていて、うまかった。 夜はうな重、麻布のなんとかって店 の、冷めないようにお湯の入ったケースの出前。 翌日の昼は鴨料理、夜は寿 司だった。 三人前、吉崎さんは一人前の半分も食べないので、ほとんどを草 介が食べた。 「おいしいですねえ」と三度か四度いっただけだが、心では「な んなんだ、これは。米がちがう、酢がちがう、ネタがちがう」と叫んでいた。  こんなうまいものがあるのか。 これが同じうなぎか、これが同じ寿司か、 と人にはいえない驚きが認めたくないがかけめぐっているのだった。

 どうして、あんたに来て貰ったか、その趣旨を話さなければいけなかった。  重光さんに話をきいた。 特養ホームの廊下で、押していた車椅子からばあさ んが飛び出して、床に転がった。 あんたは責任をとって辞めるといい出した。  六日後にばあさんが死んだ。 痛々しい話だ、その青年をいたわりたいと思っ た。 二十代の青年が老婆とはいえ異性の排泄物の始末と尻と性器の汚れを拭 きとるのが一日の大きな仕事で、その上食べさせて風呂に入れて寝かせて、認 知症ばかりで気持の交流はほとんどないというのはすさまじいと思った。 感 情だよ。 我儘だ。 ただその青年に楽をさせたいと思った。

 「キレたんだよね」と、吉崎さんはいった。 「あんたがさ。キレてばあさ んをほうり出した。ちがうか?」 「知りません」としか、草介には言葉が出 なかった。

 病院のリハビリの帰り、池袋のデパートで、吉崎さんは無理やり草介にブラ ンドもののブレザーとシャツとズボンと靴を買ってくれた。 三日後、草介は それを身につけて、吉崎さんの代りに京都へ向かった。 それも「私が乗るん だ」というので、グリーン車で。 用件は携帯で指示するという。 六波羅密 寺にお参りし、宝蔵館へ行かせられる。 空也上人の木彫をあんたに見せたか った、というのだ。 ひとりよがりの好意と金に振り回されて、はるばる身に つかないブランドのブレザーを着てひらひら来ていることが情けなかった。  係の人に言われ、しゃがんで空也上人を見上げると、目が光った。

 草介はうろたえて、五条の橋の上から重光さんに電話し、仏教かなんかで救 ってやろうと思っているんです、あの人から降ります、と言う。 帰るとアパ ートに重光さんがやって来た。 目なのだ。 不意打ちだった。 あんなかた ちでまた人の目を見るとは思わなかった。 草介が泣くと、重光さんは「男が 泣くな」といった。 蓮見さんが車椅子から飛び出したのは、吉崎さんも察し た通り、オレがほうり出したからです。 ベッドに運んで、意識の戻った蓮見 さんに謝り、なんともなくて、ほんとによかった、といった。 蓮見さんがオ レを見ていた。 その目がものすごくまともだった。 絶対に認知症ではなか った。 深い目だった。 蓮見さんは死んだ。 仕事は辞めた。 終ったと思 っていた。 それが、いきなり空也上人の目を見せられるとは思わなかった。

(<小人閑居日記 2011. 8. 10.>に、「浄土教の先駆者」空也メモ、というの を書いていた。)