新宿の雑踏に、その人はいた2012/08/06 01:49

 ネタばれになるから、この先の物語は書かないが、『空也上人がいた』は山田 太一さんらしい展開を見せる。 若干のヒントを洩らす。 吉崎征次郎さんは 中津草介に、重光さんは「色っぽいよなあ」と言い、「八十のじじいが骨抜きに なった」と告白する。 八十を超えて、終りに少しばかり人の人生に関わりた かった。 吉崎さんにも、草介と同じように抱えているものがあった。 「と りかえしのつかないことは帳消しにはならない」。 だが、「なにもかも承知で、 しかし、ただ黙って、同じようにへこたれて歩いてくれる人に会わせたいと思 った。」

 終章、七十半ばの草介が老婆の乗った車椅子を押している。 夢の中なので、 吉崎さんも並んで歩いていたが、いつの間にか消えていた。 新宿駅の東口か ら、伊勢丹へ向かう雑踏のようだ。 すると並んで歩いている人がいるのだっ た。 歩調に合わせてくれていた。 少し顎を上げて、小さく口をひらいて、 汚れた衣を着て、細い脛を出し、履きつぶしかけの草鞋で…。

 落語の『化物使い』が物語の中に登場した山田太一さんの『空也上人がいた』 を読んで、立川談志の落語論に通じるものを感じた。 談志は、人間の生の根 底に潜む、曖昧模糊とした「人間の業」という摩訶不思議なものを描くのが、 落語だといつも言っていたのだった。