理想の実現に、科学や学術に解を求める2016/04/03 07:05

 兼田麗子さんの『大原孫三郎―善意と戦略の経営者』を、さらに読む。 大 原孫三郎21歳、1901(明治34)年9月22日の日記には、「神が生(自分のこ と)をこの社会に降(くだ)し賜わって、而(しか)も末子である生を大原家 の相続人たらしめられたのは、神が生をして、社会に対し、政治上に対し、何 事かをなさしめようとする大なる御考に依るものだと信ぜざるを得ない。この 神様より生に与えられたる仕事とは生の理想を社会に実行するということであ る」と、書いているそうだ。 使命感に目覚めた孫三郎は、その後、工場労働 者のための宿舎や生活必需品の販売制度など福祉施策を実践したが、それが単 に労働者の利益を増すばかりでなく、経営者の利益を増大するものであると確 信していた。 博愛的な人道主義を唱えるだけではなく、経営者としての「能 率の経済」という観念も保持して、企業の買収や合併を進めていった。

 「余がこの資産を与えられたのは、余の為にあらず、世界の為である。余に 与えられしにはあらず、世界に与えられたのである。余は其世界に与えられた 金を以て、神の御心に依り働くものである。金は余のものにあらず、余は神の 為、世界の為に生れ、この財産も神の為、世界の為に作られて居るのである」 と考えるようになり、この理想や使命感を生涯持ちつづけた。 小作争議が起 こっていた時期の大正8(1919)年3月、孫三郎は、小作人に一種のボーナス、 一年限りの利益分配を行った。 経済社会的格差の拡大によって労働運動や社 会運動が頻発するようになった時代、孫三郎は、地主と小作人、労働者と資本 家の利害は一致する、従って共存共栄を目指さなくてはならないと考えた。

 孫三郎は、息子の總一郎に、経験にもいろいろある、今までにやったことの ないことをやって失敗するのが本当の経験であって、今までやったことをもう 一度間違ってやるというようなことは誰でもやる、それは経験のある人間とは いえない、と語っていた。 孫三郎は、経験だけで対処すること、それまでの 事柄を単純に踏襲することは是としなかった。 常に独創的見解(「主張」と言 った)を求め、顕示、実践すること、それまでの誤りを正すことを自らにも課 し、周囲にも求めていた。 一人ひとりの人間や民衆の生活レベルにまで目を 向けた経営や社会づくりを追及したが、キリスト教的な人間愛だけで物事を解 決できるとは考えていなかった。 科学や学術に解を求めようとする特徴があ った。 社会の問題が起こらないように、事前に問題の芽を摘み取らなくては 意味がないと考えた。 そのようなこともあって、孫三郎は、先進的な科学研 究所をいくつも設立した。 大原奨農会農業研究所、大原社会問題研究所、労 働科学研究所である。 それを兼田麗子さんは、孫三郎と接点のあった大内兵 衛が、学者に衣食の心配のない待遇を提供し、成果不問の自由な研究が可能な 学問研究所をつくってみたいという、福沢諭吉の「夢」を実現したものだと書 いている(『大内兵衛著作集』第12巻、岩波書店、1975年、25頁)という。  福沢は、その夢を明治26(1893)年11月11日に慶應義塾で語っている。(163 頁に引用。『福澤諭吉全集』第14巻195-198頁・「人生の樂事」『時事新報』 11月14日論説)

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