お雇い教師ヘンリー・ダイアー、工部大学校の教頭2022/08/02 07:13

 『ヘンリー・ダイアー物語 日本とスコットランドの懸け橋』は、本文46ページのコンパクトな本であるが、付録1ヘンリー・ダイアー・シンポジウム―産業のグローバリゼーション(1996年・ストラスクライド大学)、付録2ヘンリー・ダイアー・シンポジウム―工学教育に関する(1997年・東京大学)、付録3ヘンリー・ダイアーの著作、付録4ヘンリー・ダイアーに関する記事・論文、さらに謝辞、訳者注、地図、訳者あとがき、索引などの附属資料が充実している。

 ヘンリー・ダイアーのことは、2年前にいろいろ書いていた。 加藤詔士さんが送ってくださった「ヘンリー・ダイアー エンジニア教育の創出」や、論文「「お雇い教師」研究の再構成」によったのである。
加藤詔士先生(英国教育史・日英交流史)との出会い<小人閑居日記2020.8.10.>
ヘンリー・ダイアー、エンジニア教育の創出<小人閑居日記 2020.8.11.>
福沢三八、グラスゴー大学で夏目漱石の問題を受験<小人閑居日記2020.8.12.>
「グラスゴウ大学日本語試験委員・夏目漱石」<小人閑居日記 2020.8.13.>
「世界の一体化とお雇い教師」<小人閑居日記 2020.8.14.>
加藤詔士先生の「「お雇い教師」研究の再構成」<小人閑居日記 2020.8.15.>
日本教育を近代化した「お雇い教師」の面々<小人閑居日記 2020.8.16.>

  ヘンリー・ダイアー Henry Dyer(1848-1918)は、英国をモデルに日本の工業化・近代化をめざした明治新政府が、スコットランドから招いたお雇い教師で、1873(明治6)年から82(明治15)年までの間、工学寮工学校とそれを継承した工部大学校(東京大学工学部の前身)の都検(教頭)ならびに土木学・機械学教師として、日本のエンジニア教育の組織化と実学人材の育成に貢献した。 当時、欧米では工学部を含む総合的な高等教育機関はまだ設立途上だったので、帰国後、日本での体験と成果を、郷里グラスゴーの教育実践の中に移し入れた。 しかも、エンジニアをめざしてグラスゴー大学にやって来た日本人留学生を支援したのである。