小泉信三さんの「スポーツが与える三つの宝」2022/09/08 07:14

 某大先輩から、電話で質問があった。 どこかで話をすることがあって、小泉信三さんの「スポーツが与える「三つの宝」」を確認したいというのだった。 一応、手元の本などを探して、答える。

1.  練習は不可能を可能にする。

2.  フェアプレーの精神。

3.  よき友。

   今村武雄さんの『小泉信三伝』(昭和58(1983)年・小泉信三先生伝記編纂会)に、「スポーツの三つの宝」があった。 昭和37年(10月28日)、日本体育協会主催のオリンピックデー大会で「スポーツが与える三つの宝」と題して講演した。 その要旨を、後に『産経新聞』のコラムに書いた。

 三つの宝の第一は、小泉の持論「練習は不可能を可能にする」である。 「人類の歴史は見ようによっては、不可能を可能にする過程の連続である。それは、一つは発明によって、一つは練習によって行われる。(中略)……吾々人類は、無数の不可能を練習によって可能にしつつある。早い話が水泳である。水泳を知らないものは、水に落ちれば溺れて死ぬ。水泳を知るものは、容易(たやす)く浮かぶ。」

 第二の宝は、フェアプレーの精神。  「フェアプレーとは何か。それは正しく、いさぎよく、礼節をもって勝負を争うことである。反面からいえば、不正をにくみ、卑怯をにくみ、無礼をにくむ精神である。この精神は、無論誰もが抱くものであるが、勝敗を争う競技の間に最も痛切に体験され、養われる。Be a hard fighter and good loser.(果敢な闘士で、そしていさぎよき敗者であれ)、果敢な闘士であればあるほど、そのいさぎよき敗者であることの意味は深い。フェアプレーという言葉は英語であるが、その精神は、直ちに日本人の心に訴える。『尋常の勝負』といい、『負けっぷり』が好いとか悪いとかいう言葉を持つ日本人は、本来フェアプレーということを最も尚(たっと)ぶ国民ではないのか。」

 第三の宝は、友だといいたい。 「友は人生の宝である。わが信ずる友、吾を信じてくれる友、何でも語ることのできる友、何をいっても誤解しない友、これを持ち得たものは、人生の最も大きい幸福を得たものというべきである。(中略)スポーツによって得た友が、利害の打算を全くはなれた、一種特別のものであるということは、体験あるもののひとしく認めるところであろうと思う。同じチームで練習の労苦をともにした友、共に試合に出場した、いわば戦友というべき友、更に敵味方となって勝負を争った、その相手、この人々との交りはこれは格別のものである。」

 小泉は友を日光に喩えて言う。 「友は日の光りと同じく、われわれの心をあたため、われわれの心に或るよきものを育てる。すべての花、すべての葉が日の光りを得て咲いたり茂ったりするように、われわれの心は友を得て咲いたり茂ったりする。」

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