井上ひさしさんの『夢の痂(かさぶた)』2006/09/01 08:28

 井上ひさしさんの東京裁判三部作だが、その第一部が屋島の太郎狸が出てく る紙芝居屋さんの話『夢の裂け目』、第二部が『夢の泪(なみだ)』で、実は私 が兄を喪う3日前に新国立劇場で観て、観た翌日の2003年10月22日と23 日の日記に書いていた、思い出深いもの。 そして第三部がことしの6月~7 月にやはり新国立劇場で公演された『夢の痂(かさぶた)』だった。 こまつ座 の主催公演でなかったため、観る機会を逃がし、雑誌『すばる』8月号に掲載 された戯曲だけを読んだ。

 靖国神社の問題などに関連して、中国や韓国との関係を考えていくと、どう しても戦争責任の問題に突き当たる。 それをうやむやにし、一種のタブーに してきたことが、今日のいろいろな問題を引き起こしているように考えられる。  井上ひさしさんは『夢の痂』で、ついにその問題に正面から取り組んだ。 も ちろん井上流ではあるが…。

 ときは、昭和22(1947)年7月中旬、ところは東北のある町の、かつての大地 主・佐藤織物株式会社の別邸。 その二年前、つまり敗戦直後の8月28日上 野の古道具屋の次男で陸軍大学出の秀才、三宅徳次陸軍参謀大佐(39・新国立劇 場では角野卓造)が、満州大連にいる娘の友子(16・藤谷美紀)に「このたびの戦 争の責任はほとんど、戦さを推し進める計画を考え、それを立案した軍の指導 部にあります。そして父さんはその指導部の中心、大本営の参謀の一人でした。 上層部や重臣たちは、父さんたちが立てた計画をちょこっと手直しするくらい で、いつも父さんたちの考えが、そのままわが帝国の方針になりました。負け る戦さを立案し推進した父さんたちがこの敗戦責任を負うべきなのです」とい う遺書を残して、熱海屏風ヶ浦から宙に飛ぶ。 そして、崖下の太い松の木の 枝に、がっしりと受け止められるところから、芝居は始まる。

敗戦の意味を日本語文法で考える2006/09/02 07:03

 熱海屏風ヶ浦から二年、三宅徳次元・参謀大佐(41)は、東北のある町の屏風 の蒐集家・八代目佐藤作兵衛(61・犬塚弘)の別邸に泊まり込んで、兄(上野の骨 董店・秋天堂)が請け負った屏風美術館をつくる準備をしていた。 そこへ大連 から引揚げてきた娘の友子(18)が、上野の伯父の所に寄った足で、やってくる。  佐藤作兵衛には二人の娘、絹子(32・三田和代)と繭子(まゆこ・29・熊谷真美) がいる。 絹子は女学校で国語を教えているが、父の持ちこむ婿取りの縁談に よい返事をしない。 繭子は絵を学びに行った東京で、もちろん親には内緒で 東京平和モデルクラブの専属モデルをしている。

 絹子は国語の先生だから、敗戦の日の意味を文法で考える。 日本語の自立 語、とりわけ名詞は、そのままの形に「は」を付けただけで、簡単に主格にな ることができる。 あの日、徳次のかつての同僚たちは、そのときのいちばん 強い力に合うように、「本土決戦はこれからの日本人の使命である」の「本土決 戦」を、「デモクラシー」や「民主平和」と入れ替えてしまった、と言う。

 絹子は「日本語には主語がない」「主語がいらない」仮説を立てる。 「わた しは」「わたしが」が抜けていても、通じる。 「わたしは」「わたしが」は、 かくれんぼの名人だった。 日本語には主語をかくす仕掛けがしてあって、「わ たしは」「わたしが」は、その時の状況の中に隠れる。 日本語では状況が主語 なのだ、という。 そして状況次第で、主語次第で、人間の運命はまったく違 ったものになってしまう。 いまの状況、つまり、今の主語は、と訊かれて、 絹子は「いまはマッカーサーの御代、これが新しい主語なのでしょうね」と言 う。

 父の作兵衛は「金屏風でおごそかな場、簾屏風でくつろぎの場、枕屏風で安 らかな眠りの場、(中略)わたしたち日本人は、屏風を使って、一つの座敷をい ろんな場にかえるんだよ。むかし立っていたのは天子さまの屏風、いま立って いるのはマッカーサー屏風、だからそこは民主主義の国。自由自在なんだ。」と 言う。

元参謀、仮の天子さまとなる2006/09/03 07:06

 来月、つまり昭和22(1947)年8月、全国御巡幸中の天皇が東北を御巡幸なさ り、佐藤作兵衛家の別邸がその宿、行在所に指定されたという情報がもたらさ れて、大騒ぎになる。 絹子は、かつて御前作戦会議でおそばにいた経験があ り、新米参謀の時には予行演習の折に仮の天子さま役もやったことのある三宅 徳次を、仮の天子さまに見立てて入念な予行演習を始める。

 徳次は、天皇になりきった。 絹子は、徳次天皇に尋ねる「かしこくも天子 さまにおかせられましては、その戦いのわざわいを引き起こされた御責任をい かがお考えあそばされておいででしょうか。」 そしてさらに「このたびの戦さ で亡くなられた方々の御無念はむろんのこと、残された者たちの悲しみも深く、 いまだに涙の谷間をさまよいながら苦しんでおります。」 徳次「早くそれを克 服して、皆がしあわせになるよう望んでいます。」 絹子「その思(おぼし)召し をお叶えなさるためにも、その者たちに御一言、「すまぬ」と仰せ出されくださ れませ。」

 絹子に「天子さまが御責任をお取りあそばされれば、その下の者も、そのま た下の者も、そしてわたしたちも、それぞれの責任について考えるようになり ます。「すまぬ」と仰せ出された御一言が、これからの国民の心を貫く太い芯棒 になるのでございます。ご決意を!」と迫られた徳次天皇、「わたしは屏風であ った。」「すまなかった。」と言い、「退位いたします。」とまで言ってしまう。

 井上ひさしさんの東京裁判三部作は『夢の裂け目』『夢の泪(なみだ)』そし てこの『夢の痂(かさぶた)』である。 その「夢」は、明るい希望の夢ではな くて、悪夢であろうか。 司馬遼太郎さんの言葉を借りれば、日本史における 「異胎の時代」、日露戦争の勝利から敗戦までの40年の中で、とりわけ参謀本 部という「鬼胎」がつくりだした「別国」のような昭和初年から敗戦までの十 数年、統帥権国家の時代を指しているような気がする。 痂(かさぶた)は、ポ ロリとは落ちなかった。 まだ、ついているようだ。 そして時間が経っても、自然に落ちそうにない。

柳朝を襲名する朝之助の「武助馬」2006/09/04 07:43

 新国立劇場の芝居の話で、落語ファンにはお待たせ(?)したが、31日は国立 劇場小劇場の落語研究会、数えて第458回、満員御礼の看板が出ていた。

  「武助馬」         春風亭 朝之助

  「短命」          三遊亭 圓馬

  牡丹燈籠より「お札はがし」 柳家 喬太郎

            仲入

  「目黒の秋刀魚」      春風亭 正朝

  「鰻の幇間」        柳家 権太楼

 朝之助(ちょうのすけ)は、来年3月真打昇進、大名跡の柳朝を襲名するとい う。 長い首の上に、ぐりぐり目玉の七三に分けた頭がのっている。 平成6 年に一朝に入門したというから、平成3年に亡くなり、その10年前には脳梗 塞で倒れていた五代目柳朝は、ほとんど知らないはずだ。 江戸前のきっぷの 良さで一世を風靡し、次代の落語界を背負うといわれ、フランク・シナトラの 映画にも出た、あの柳朝である。

 朝之助、その名跡を継がせてもらえるだけあって、なかなかいい。 「武助 馬」は芝居噺、せんに勤めていた旦那の所に役者になった武助が挨拶に来る。  勘三郎の向うを張った中村堪袋の弟子で頭陀袋、それよりはと本名を選んで中 村武助、隣町の八百屋の路地の突き当たりに小屋掛けして、『一谷嫩(いちのた にふたば)軍記』で馬の脚を演じているという。 前脚は兄弟子の池袋、武助は 後ろ脚だというが、いい旦那で、自腹で酒、つまみ、弁当を誂え三十人を動員 して総見、楽屋にも鰻弁当を差し入れる。 上に乗る熊谷直実、親方の堪袋が その弁当を十人前食って重くなったからたまらない。 前脚の兄弟子が張子の 馬の中でオナラをする。 「待ってました、ウシロアシー」の声がかかって、 武助はピョンピョン跳ねる。 張子はヘチマを乾燥させたもの、ボキーッと折 れて、親方は落馬、中から顔が出て、馬が丸顔になった。 慌てて幕を締めた のを、前の客が引っ張って、幕が落ちた。 書割が倒れて、裏の家の塀も一緒 に倒すと、裏の家の庭でおかみさんが行水をつかっていた。 アレーッ、と立 ち上がる。 隠すところは、隠そうとする。 「もっと真面目に、芝居やれー ッ」の声。 素顔を出した後ろ脚の武助「ヒヒーン」と鳴いて、「何で後ろ脚が 鳴くのか」とつっこまれ、「さっきは前脚がオナラをしましたから」

圓馬の「短命」、喬太郎の「お札はがし」2006/09/05 07:57

 三遊亭圓馬を知らなかった。 プログラムにある長井好弘さんの解説によれ ば、なるほど落語研究会初登場、実力はあるが、内気で人見知り、自己アピー ルが思い切り下手くそなのだという。 左肩を下げて、半身の具合が悪いので はないか、という出方をした。 師匠が橘ノ圓(まどか)、といってもキャバク ラじゃない、平成14年の午年に馬のついた名を継いだ。 いろいろと巡り合 わせがあって、婆さんが午年、女房が午年、その星座はどうでもいいけれどサ ソリ座で、話題の冥王星はサソリ座の守り神、実は丙午なので蹴飛ばされる。  自分は苗字が中山、というのも、巡り合わせ。

 「短命」、はっきり言って面白くなかった。 上のマクラや、器量のいいのが 「短命」で、長生きするのが「チャンポン」、伊勢屋のお嬢さんが5年前に28 で、今は78、十の位に足した等、細部に光るクスグリはあるのだが…。 振る いつきたくなるような、いーーい女のお嬢さんの所に養子に来るご亭主が、三 人つづけて死んだあたりのストーリーが伝わるように語られていなかった。

 喬太郎の、三遊亭圓朝作「怪談牡丹燈籠」より「お札(ふだ)はがし」の方が 数段上、これは聴かせた。 登場人物は、浪人萩原新三郎、医師山本志丈、旗 本飯島家の娘お露、お付の女中お米、手相見白勇堂悠(?)斎、谷中新幡随院の良 石和尚、新三郎の家作に厄介になっている伴蔵、おみね夫婦。 萩原新三郎と の恋を生木を裂くように引き裂かれ、焦がれ死にしたお露が盆の十三日、女中 お米が「牡丹燈籠」で足下を照らし新三郎の所にやって来る。 女二人分の駒 下駄の音「カランコロン」が有名だ。 新三郎とお露は、うれしい仲になり、 お露とお米は毎晩通ってくるようになる。 白勇堂が死霊だと見抜き、新三郎 を良石和尚の所へ行かせる。 良石は死霊と情を通じては「短命だな」(笑・受 けた)といい、お札と金無垢の海音如来のお像をさずけ、朝晩陀羅尼経を読むよ うに教える。  新三郎の家に入れなくなったお露とお米は、伴蔵に頼み込む。 伴蔵は、お 足のないはずの幽霊が下駄を履いている足下を見て、百両の金をせびる。 チ ャリチャリチャリチャリ、降ってき小判が山となり、「お札はがし」となる。 新 三郎の運命や、いかに。