「作家」にだけはなるまい ― 2008/10/31 07:11
平井一麥さんは、父野口冨士男さんの文学への思いのキビシサを日記から列 挙している。 子供の時から、執筆中の姿勢を見ていて、絶対静かにしていな ければならないことは承知していた。 中学一年の時、事業に息づまった祖父 が、後添えと一麥さんより一つ下の叔父と心中した。 その事件を、父が作家 生命をかけて小説にし、徹夜つづきで衰弱した。 母親に「お父さんは死んじ ゃうかもしれないけれど、覚悟しておきなさい」と、言われる。 その頃から、 一麥さんは、絶対、「作家」にだけはなるまいと思った、という。 父親の日記 を読み返して、自分が十分知っているつもり以上だったのは、その父の文学へ の思いとともに、母親の苦労が父を支えていたということだったと、一麥さん は書いている。
同級生だから、同じような時代を経験している。 わずかに乾燥バナナしか なかった頃に育ち、生のバナナを戦後初めて食べたこと。 昭和24年8月31 日のキティ台風、平井家では父母が窓ガラスにタタミやフスマをあてて家を防 御したとあるが、中延のわが家は二階の廊下のトタン屋根が飛ばされて水浸し になった。 たいへんな生活の中でも、実にたくさんの映画を見ている。 一 麥さんは、小学校高学年ころから、大人扱いされていたので、映画も随分、一 人で見に行ったという。 私は五つ上の兄に連れられて映画を見た。 この本 に書いてあるのでは(時期は前後しているように思うのだが)、ターザンもの、 「ハムレット」「第三の男」「にがい米」「道」「地上より永遠に」「望郷」「カサ ブランカ」「西部戦線異状なし」「凱旋門」「自転車泥棒」、邦画では「ひめゆり の塔」「二十四の瞳」「野菊の墓」「生きる」「七人の侍」「赤ひげ」などは見てい る。 平井一麥さんで、うらやましいのは、子供の頃から、父上に連れられて、た くさんの作家の方々に会っていることだ。 和田芳恵さんには、見合いの世話 をしてもらったそうだ。
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