リバプール、繁栄の秘密 ― 2008/12/18 07:16
11月27日に松岡正剛さんの『誰も知らない 世界と日本のまちがい 自由 と国家と資本主義』(春秋社)にある「イギリスのまちがい」に触れた。 「議 会、株式会社、ジャーナリズム、小説、産業技術をつくり、近代社会がその恩 恵に浴しているモデルの多くを発明したイギリスが、これらを世界に撒き散ら すことによって覇権を握った。 植民地を経営し、奴隷を発明し、三角貿易を 定着させた」と。 それを書きながら、思い出していたのは、NHKの「探検 ロマン世界遺産」で見た二つの街の物語だった。 イギリスのリバプールと、 タンザニア・ザンジバル島のストーン・タウンだ。
リバプール、アイリッシュ海に面し、ビートルズを生んだこの港町には、世 界の1/4を植民地にしたヴィクトリア女王の大英帝国時代の面影を残す、立派 な建築物が建ち並んでいた。 海の一大商業都市だったリバプールの豊かさの 源には、砂糖、木綿などの物資だけでない、もう一つの秘密があった。 「ブ ラック・カーゴ」と呼ばれたアフリカの黒人奴隷の売買である。 15世紀末か らの300年間に、ヨーロッパの国々は1千万人を運んだ(連行した)といわれ るが、リバプールはその4割、18世紀以降でも150万人の売買にかかわった という。 アフリカから5,300隻といわれる奴隷船でキューバなどの西インド 諸島に運ばれたアフリカの人々は、砂糖と交換され、リバプールからは綿製品 がアフリカに運ばれた、三角貿易である。 奴隷の値段は一人35ポンド(女 が高い)、当時の庶民の年収と同じだったという。 精神を破壊するような拘束 具も使う、過酷な扱いで、航海中に2割が死んだ。 1830年には、世界最初の 鉄道でマンチェスターと結ばれ、運ばれた綿織物などが、リバプールの港から 世界に輸出された。
リバプールは、アメリカ、アジアとの交差点で、中華街は150年前に出来た し、インド、パキスタン、アフリカ系の人々が独自のコミュニティーを作って いる。 1840年代のジャガイモの大飢饉で、アイルランドからリバプールの人 口の半数にあたる100万人がやってきた(今でも1/3がアイルランド系)。 カ トリックで、努力し、反骨精神がある。 ビートルズのメンバー3人がアイル ランド系、権威あるものに反抗的なのはアイルランド的という。 “PENNY LANE”という道路の由来になったジェームズ・ペニーは奴隷貿易にかかわっ ていたそうだ。
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