戦犯として追放された漢字2009/10/19 07:13

 閑話休題。 円満字二郎さんの「禁じられた「八紘一宇」」に戻る。 紀元二 千六百年記念行事(神武天皇が即位したとされる年(紀元前660年)を第一年 とする紀年法である皇紀2600年を祝った)が行われた昭和15(1940)年、神 武天皇ゆかりの地、宮崎に高い塔「八紘之基柱(あめつちのもとばしら)」が建 てられた。 番組で円満字さんは、今は「平和の塔」と名前を変えた塔を訪れ る。 御幣を模した塔の内部、その中心の底に当たる部分に校倉造りの小さな スペースがあり、その胎内に塔の生命、いわば本尊として「八紘一宇」の文字 が祀られていた。 円満字さんは、文字を神様と言い切っていいかは別として、 文字に寄りかかって聖域が出来ており、後光のようなものであることは確かで、 その光源に文字があり、それは文字の役割としては特別なことである、と言っ た。 「八紘之基柱」は、拾銭札の図柄にも使われた。 国民を戦争に動員す る装置として、漢字が一役を買わされたのだ。

 戦後、漢字に対する考えが、また変わる。 「漢字を廃止せよ」という社説 を掲げた新聞まで出た。 封建的な漢字を批判して、漢字が民主化を妨げてい ると槍玉にあげた。 「八紘一宇」というようなわけの分からぬ文字と言葉で、 日本人の批判能力は完全に封殺されてしまった、と。 国語審議会が、文字改 革の必要を検討、漢字を制限する方向へ。 国語審議会で山本有三は、委員長、 常用漢字主査として熱心に取り組んだ。 山本有三は、既に昭和13年、漢字 を減らす試みをした『戦争と二人の婦人』という本を出版していた。 日本国 憲法も、山本有三案(口語化草案)に沿って、書き直された。 昭和21(1946) 年11月1850字の当用漢字が発表された。 世論は戸惑いながらも、官公庁や 新聞・雑誌が採用したことで、次第に受け入れられるようになる。 円満字二 郎さんは、漢字を戦犯として追放したことになる、この当用漢字という政策に は、戦後民主主義の純粋に理想を求めようとする光の部分と、あまりにも単純 で、時には極端に走りすぎてしまう陰の部分が同居している、と語った。 (当 用漢字は、昭和56(1981)年に常用漢字1945字に代り、現在検討が加えられ ている)

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