蜃気楼龍玉の「臆病源兵衛」 ― 2011/03/02 07:08
五街道弥助改メ 蜃気楼龍玉、五街道雲助の弟子は、不思議な名前を継ぐ。 三 代目、初代と二代は、不幸な亡くなり方をした、と言う。 そういえば、桃月 庵白酒(はくしゅ)も五街道喜助から白酒になった2005年11月に、同じ「臆病 源兵衛」を演じたが、先代から百年以上経つ三代目という古い名跡だと言って いた。 龍玉、背が高く、顔は小さい、どちらかというとキツネ面だ。
源兵衛は、暗いのが怖い臆病者だが、助平で、金が入ると、女を買いに行く。 安直な所、地獄といわれる根津や深川へ、昼 間に行くから「昼遊びの源兵衛」と呼ばれている。 前にも書いたが、根津遊 廓は根津権現の門前町にあり、「本郷の大名屋敷や旗本屋敷に出入りする大工た ちが通って繁昌したという。明治に入ってますます栄えたらしい。1882(明治 15)年に688人の遊女がいたという。吉原よりは、少ないが、品川遊郭より多 い数である。しかし西隣に帝国大学ができたことを理由に、国家政策で1888(明 治21)年、深川洲崎に移転させられたのだった。今はその面影もない」(田中優 子著『江戸を歩く』(集英社新書))。 未読だが、直木賞を受けた木内昇(「の ぼり」と読み、女性)さんの『漂砂のうたう』は、明治10年の根津遊廓を舞 台にしているそうだ。
「臆病源兵衛」の「あらすじ」は、根津遊郭は「地獄」か「極楽」か<小人 閑居日記 2005.11.25.>に書いた。 龍玉の場合、根津遊郭は「地獄」と呼ば れる最下等の悪所だということを、はっきり強調しておかなかったのが、少し 弱い印象を与えた。 しかし、白酒の時、私がうまく書けなかった最後の部分 を、龍玉は独自の噺にしていた。 http://kbaba.asablo.jp/blog/2005/11/25/154495
ここは極楽だと、不忍池の蓮の花に乗って、「誰だ、蓮の花を荒しやがって」 と、怒鳴られた後、根津で遊んで来た二人連れが「地獄の中にも、極楽がある」 と話しているのを聞く。 どっちなんだと、廓の中へ。 若い衆に聞くと、極 楽だ、弁天様に聞いてみな、という。 弁天様、つまり花魁に聞くと、ここは 地獄のまんまん中だよ、と。 裏手に回ると、白髪を振り乱した婆さんが、今 絞めたばかりのニワトリの毛をむしっていた。 鬼婆だ、やはり地獄か、と聞 くと、私は娘のおかげで極楽さ。 蜃気楼龍玉、なかなか手堅く、面白く聴かせた。
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