歌武蔵の「植木屋娘」後半 ― 2011/03/06 08:28
幸右衛門は一計を案じ、酒と肴を出して、女房を(今、行ったばかりの)湯 へ行かせ、自分はお得意へ出かけたことにして、伝吉とお花を二人にする。 裏 へ回って、節穴から覗くと、二人は一対のお雛様のよう、手でも握れば飛び出 すつもりが、おじさんは遅いですねえ、もう寺へ帰ります、となる。 女房を 怒って、お花にどういう躾をした、お前と一緒になって三日で男が三人尋ねて 来た、その尻の軽いところを、なんでお花に教えないんだ。
三月ほど経ち、湯屋から帰った女房が、大変だ、お産婆のお兼婆さんが、お 花がただの体じゃない、と言った。 出来たんだよ、ぽんぽこぽん。 タヌキ でも憑いたか。 お花が好きなら、養子にもらおうじゃないか。 おかみさん が、用事だとお花を呼んで、問いただす。 泣くんじゃない。 お寺の伝吉さ ん。 よくとった、デカシタ。 早速お寺へ行き、やい和尚、家の娘はボテレ ンだ、ポンポコリン。 和尚も、わしは何も言うまい、さすがは植木屋だ、根 回しがいいな。 いや、お花が咲いて、実をつけた。
「植木屋娘」、珍しい噺なので全部書いたが、歌武蔵、今まで聴いた中では、 一番の出来だった。 この噺、大阪だと、和尚が伝吉を問いつめると、「お恥し いがたった一ぺん」「それでは養子に行きなさるか」「いえ、私は帰国して五百 石の家督を継がねばならぬ身」と。 無責任な返事に、和尚も呆れた。 「そ れでは何で手をだしなさった」「商売が植木屋さかい、根がこしらえものと思う てました」。 「こしらえもの」とは、夜店の植木屋がよくやる根のない植木だ そうだ。 品がない上に、悲惨な結末、東京の歌武蔵のやり方のほうがずっと いい。
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