永田耕衣の大震災句 ― 2011/03/18 07:07
大震災と俳句ということで思い出したのは、永田耕衣の〈白梅や天没地没虚 空没〉という阪神淡路大震災の折の句である。 あらためて、城山三郎さんの 『部長の大晩年』(朝日新聞社)の「活断層の真上」の章を読んでみた。
平成7(1995)年1月17日未明、耕衣は寝床から出、本の溢れた書棚と階 段の手摺りとの間の狭い廊下を数メートル歩き、トイレに行った。 この二階 は本のほかに、書画骨董が一杯で、階下に住む息子夫婦に、減らすように言わ れていた。 トイレに入ったとたん、家ごとゆさぶられ、立って居られず、床 にしゃがみこんだ。 壁のタイルが何枚かはがれ落ち、その一つが手に擦り傷 をつけた。
あたりは静まり返っている。 大きな地震でトイレに閉じ込められたようだ と思ったが、恐怖心はなかった。 やがて、道路から安否を訊ねているような、 人の声が聞えた。 その時、ふっと洗面台の端に、絵筆洗いに使っている銅製 の茶こぼしが目に入った。 耕衣は、それを洗面台の角にぶつけて、「カンカラ カン カンカラカン」と鳴らした。 外から複数の声が聞えて、若者が顔を出 し、「立てますか。ぼくの腕につかまって」と、ひっぱり出され、背負われた。 近所の酒屋の車が、罹災を免れた天理教の講堂へと運んでくれた。
活断層の真上に在った耕衣の家は、ちょうど九十度ひねられ、つぶされた。 耕衣の寝床には大きな材木が倒れており、耕衣はそれで打ち殺されるか、ある いは倒れる書棚もろとも階下に叩きつけられていたところだった。 奇跡的に、 その数秒間、トイレに居たおかげで、耕衣は救い出された。 気の毒にも、階 下の息子夫婦は、二階の全重量が二人を襲った形になり、命こそ助かったが、 大怪我を負い、妻は全治三か月に及んだ。
95歳の耕衣は、講堂に二日居たあと、市内の琴(リラ)座同人の家に運ばれ、 半月後、寝屋川市の特別養護老人ホームに入った。 まぎれもない孤独となっ た耕衣だが、それをエネルギーにこんな句を詠んだ。 俳句の面白さの本質は 孤独になることだと、その元気を祝い、あやかろうと開かれた「耕衣大晩年の 会」で講演したという。
太陽に埋(も)れてやぬくき孤独かな
枯草や住居無くんば命熱し
死神と逢う娯(たの)しさも杜若(かきつばた)
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