芥川は日本の植民地政策を批判2011/10/12 04:50

 芥川龍之介の「桃太郎」は、1924(大正13)年7月1日発行の『サンデー毎日』 「夏季特別号」の創作欄に掲載されたものだそうだ。 『芥川龍之介全集』第 11巻、巻末の「注解」(篠崎美生子さん)の「鬼が島の独立」の解説に、「芥川 は「僻見(岩見重太郎)」で桃太郎が嫌いだという章太炎の談話を引いて、暗に 日本の植民地政策を批判している。」とあった。

 幸い芥川龍之介の随筆「僻見(岩見重太郎)」が、同じ『芥川龍之介全集』第 11巻に収録されていた。 斎藤茂吉、岩見重太郎(桃山時代の伝説的豪傑、諸 国を周遊して勇名を挙げ、天橋立で父の仇を討ち、豊臣秀吉に仕えて薄田隼人 となったという)、木村巽斎(江戸中期の博物学者、文人、好事家)というバラバ ラの三人を論じた文章だ。 岩見重太郎の、問題の部分は、こうなっている。

 「僕は上海(シャンハイ)のフランス町に章太炎(しょうたいえん)先生を訪問し た時、剥製の鰐(わに)をぶら下げた書斎に先生と日支の関係を論じた。その時 先生の云つた言葉は未だに僕の耳に鳴り渡つてゐる。――「予の最も嫌悪する 日本人は鬼が島を征伐した桃太郎である。桃太郎を愛する日本国民にも多少の 反感を抱かざるを得ない。」先生はまことに賢人である。僕は度たび外国人の山 県(有朋)公爵を嘲笑し、葛飾北斎を賞揚し、渋沢(栄一)子爵を罵倒するのを聞い た。しかしまだ如何なる日本通もわが章太炎先生のやうに、桃から生れた桃太 郎へ一矢を加へるのを聞いたことはない。のみならずこの先生の一矢はあらゆ る日本通の雄弁よりもはるかに真理を含んでいる。桃太郎もやはり長命であら う。もし長命であるとすれば、暮色蒼茫たる鬼が島の渚に寂しい鬼の五六匹、 隠れ蓑や隠れ笠のあつた祖国の昔を嘆ずるものも、――しかし僕は日本政府の 植民政策を論ずる前に岩見重太郎を論じなければならぬ。」

 これも篠崎美生子さんの「注解」によれば、「日本政府の植民政策」は、1910(明 治43)年の韓国併合、1915(大正4)年の対華二十一箇条の要求などの強硬政策。  「章太炎(しょうたいえん)」は、章炳燐(1869-1936年)。 中国の考証学者、 政治家。 清朝政府打倒と中華民国建国に尽力した。 芥川が中国で面会した 時は、広州大元帥府秘書長在任中。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
「等々力」を漢字一字で書いて下さい?

コメント:

トラックバック