子規と虚子が食べたアイスクリーム ― 2012/07/19 02:17
「アイスクリーム(氷菓)」の季題研究で、原田淳子さんがアイスクリームの 歴史に触れた。 日本アイスクリーム協会の資料に、「明治8(1875)年に麹町 の開新堂がアイスクリームを売り出し、風月堂、函館館もメニューにアイスク リームを加えます。 明治33(1900)年銀座に資生堂が開業、アメリカのド ラッグストアをまね、ソーダファウンテンを併設し、アイスクリームとアイス ソーダの販売を始めました」とあるという。 「麹町の開新堂」は、「夏潮」の お仲間、山本道子さんの村上開新堂だろう。 資生堂のそれは、ウィキペディ アだと明治32(1899)年となっているそうだが、銀座公式ウェブサイトの「資 生堂パーラー」では1902(明治35)年となっている。 福沢先生の死(明治 34(1901)年)を挟んで、前か後か、それが疑問じゃ。
淳子さんの報告はまた、明治32(1899)年8月23日に正岡子規がアイスク リームを食べたことに触れた。 本井英主宰の「虚子への道」(第15回)「「ホ トトギス」一歩一歩」(『夏潮』2008年10月号)にそれはくわしく、病臥して いて三ヶ月ぶりに外出した子規が、高浜虚子宅を訪ね、虚子に瓢亭も加わって、 西洋料理やベルモットやアイスクリームを楽しんだという。 8月23日付の虚 子宛子規書簡に、「アイスクリームは近日の好味早速貪り申候」とあり、二句を 添えている。 〈一匙のアイスクリムや蘇る〉〈持ち来るアイスクリムや簟(た かむしろ)〉 「簟」は、夏の敷物にする竹で編んだむしろだ。 この二句が、 アイスクリームを詠んだ最初の句のようで、ここから「アイスクリーム」が季 題になったらしい。
この時、虚子はどこに住んでいたか。 「虚子への道」を参照すると、明治 31(1898)年12月に神田猿楽町25番地に越し、明治34(1901)年2月に「ホ トトギス」発行所をそこに残したまま、生活の場を猿楽町3丁目1番地に移し ているから、神田猿楽町25番地が当日の虚子宅だったことになる。 アイス クリームを取り寄せたのは、麹町の村上開新堂(明治7(1874)年創業)だっ たかもしれない。
最近のコメント