「御蔭年」と「御蔭参り」 ― 2013/05/26 07:00
伊勢神宮禰宜で神宮司庁広報室長の河合真如さんの解説を読んで、4月23日 に「式年遷宮の根底に稲作の恵みへの感謝」を書いた雑誌『サライ』5月号の 「『遷宮』を見る・知る・学ぶ」大特集だが、巻頭言を歴史学者の上田正昭さん (85)が書いている。 飛鳥時代から繰り返される式年遷宮の翌年は、世間が 明るくなる「御蔭年(おかげどし)」なのだそうだ。 今年は伊勢神宮の式年遷 宮だから、来年がこの「御蔭年」に当る。
伊勢神宮の第1回式年遷宮は、持統天皇4(690)年、先代天武天皇の遺志に よるという。 それから15世紀前半まではほぼ定期的に行われるが、寛正(か んしょう)3(1462)年の第40回を最後に123年間も中断する。 1467年に 始まった応仁の乱や、南北朝の対立、戦国時代の動乱などによって、神宮の経 済的基盤が衰弱したからだ。 この間、伊勢神宮では社殿の修理などを行ない、 遷宮の伝統を守り続けた。 そして織田信長の遺志を継いで豊臣秀吉も寄進し、 天正13(1585)年、第41回式年遷宮が再興された。
江戸時代、御師(おんし)という神職が諸国を回り、伊勢講(信徒の組織) を組織した。 それが「御蔭参り」へとつながる。 伊勢の遷宮の翌年は御蔭 (恩恵)があるので、「御蔭年」と呼ばれ、それが「御蔭参り」の語源になった というのである。 宝永2(1705)年は2か月弱で約370万人、明和8(1771) 年は4か月で約207万人、さらに文政13(1830)年は半年強で500万人が参 詣したそうだ。
そこで特集の中にある主要「式年遷宮」年表を見てみた。 永禄6(1563) 年…外宮の第40回式年遷宮。 天正13(1585)年…内宮・外宮(以後、同年 開催)第41回式年遷宮。 慶長10(1605)年…このころから集団参拝(御蔭 参り)始まる。 寛永15(1638)年…このころから伊勢参宮が大流行する。 宝永2(1705)年…御蔭参り、50日間で362万人という(本居宣長『玉勝間』)。 享保3(1718)年…春の御蔭参り、42万人に及ぶ。 明和6(1769)年…第 50回式年遷宮。 文政13(1830)年…御蔭参り、9か月で458万人が参宮。 慶応3(1867)年…御蔭参りの者、群参する(ええじゃないか)。
式年遷宮は、第41回が1585年で、20年毎とすると第50回は1765年とな るはずが、1769年とどこかで4年ずれている。 第50回から、明治2(1869) 年の第55回までは20年毎になっている。 4年のずれは、第二次大戦直後に もあり、1949(昭和24)年は宇治橋の架け替えのみにして、1953(昭和28) 年に第59回が行われ、そこから20年毎になって今年2013年の第62回を迎え た。 しかし、御蔭参りは式年遷宮の翌年というのが、はっきり確認できなか った。 1605年、1705年は式年遷宮の年、1830年だけが翌年で、1718年、 1771年は、ずれている。
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