岩佐又兵衛のこと2013/05/16 06:43

 出光美術館蔵の「源氏物語 野々宮図」、「在原業平図」、「伊勢物語 くたかけ 図」を描いた岩佐又兵衛だが、画家らしくない名前のこの人物、いろいろと面 白いことがあるので、書いておく。 2009年2月15日放送の新日曜美術館は 「岩佐又兵衛 驚異の極彩色絵巻」だった。 MIHO MUSEUM館長の辻惟雄 さんと、記録映画作家の羽田澄子さんが出た。 「山中常盤物語絵巻」(MOA 美術館蔵)を中心に紹介していたが、長さ100メートル以上もあり、常盤御前 は山中で身ぐるみ剥がれて殺され、牛若丸がその仇討で首を斬ると、血がドバ ーーッと出る。 現代の劇画のような生々しい細密、華麗な絵物語で、この絵 巻を映画『山中常盤 牛若丸と常盤御前 母と子の物語』(自由工房)にした羽田 澄子さんは、「日本アニメの元だ」と言っていた。 この絵巻、林巳之吉(助?) という人が、海外流失を防いだという。 番組を見た時のメモにあったが、名 前を確認できなかった。 テレビ東京の「美の巨人たち」のサイト(下記)に は、昭和3年神田神保町の一誠堂でドイツ人が買うところを出版社の代表が全 財産を投げ出して海外流失を防いだとあった。

http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/data/050115/

 岩佐又兵衛(天正6(1578)年~慶安3(1650)年)(諱は勝以(かつもち)) は、数奇な生い立ちを持つ絵師であった。 摂津国伊丹の有岡城主、武将荒木 村重の子として生れる。 村重は織田信長の家臣だったが、又兵衛誕生の翌年、 信長に反逆を企て、失敗、一族のほとんどは斬殺される。 数え2歳の又兵衛 は、秘かに乳母に救い出され、石山本願寺に保護される。 母方の岩佐氏に養 われて成人、岩佐姓を名乗り、京都で絵師となる。 福井藩主松平忠直に招か れ、北ノ庄(現福井市)に移住、御用画家となる。 忠直は、結城秀康の長男、 徳川家康の孫、大坂夏の陣で軍功をあげたが戦後の恩賞に不満を持ち、不遜な 行動が多かった。 ために、その後改易され、豊後萩原に配流された(菊池寛 の小説に『忠直卿行状記』という出世作がある)。 又兵衛は、松平忠昌の代に なっても北ノ庄に留まり、20余年をこの地で過ごしたという。 晩年、幕府に 招かれて江戸に下り、江戸でも20年余り活躍した。 土佐派や狩野派の画風 をあわせて一派をなし、和漢の古典的題材をよくするほか、風俗画にも新風を 開いて、しばしば浮世絵の源流といわれる。 古来、歌舞伎や文楽の人気演目 である「傾城反魂香」の主人公「吃の又平(どものまたへい)」、「吃又」こと「浮 世又兵衛」のモデルとされる。

 代表作に、出光美術館は今回展示品のほか「四季耕作図屏風」、東京国立博物 館の舟木本「洛中洛外図屏風」「虎図」「雲龍図」「伊勢物語 鳥の子図」、徳川美 術館の「豊国祭礼図屏風」、MOA美術館の「浄瑠璃物語絵巻」「堀江物語絵巻 (一部)」「湯女図」「寂光院」、根津美術館の「職人尽・傘張りと虚無僧」、宮内 庁三の丸尚蔵館の「小栗判官絵巻」、仙波東照宮の「三十六歌仙図額」などがあ る。