君側の奸(姦)を斬る2013/05/28 06:42

 側室に藩主がぞっこんで、藩政に口出しさせることは、よくあったようで、 小説のよい材料だ。 幕府が諸大名の正室と嫡子を人質として江戸に留め置い たこと、藩主が急死して世継ぎがなければお家断絶となることが、その背景に あった。 今、宮部みゆきさんが朝日新聞朝刊に連載中の『荒神』でも、東北 の香山藩主瓜生久則の側室、由良が「張り子のように中身のない女」なのに、 「御館様(みたてさま)」と呼ばれて、恐れられている。 藩主の小姓、小日向 直弥の家が、下手をすれば取り潰しに遭いかねない状況にある。

 由良といえば、幕末薩摩の「お由良騒動」を思い出す。 側室が自分の子に 殿様の跡を継がせようとすると、お家騒動になる。 薩摩では、藩主島津斉興 (なりおき)・家老調所広郷(ずしょひろさと)が世子斉彬(なりあきら)と対 立した。 調所は斉興の側室お由良の方の子忠教(久光)を世子としようとし、 嘉永2(1849)年斉彬派の家臣は忠教暗殺をはかり発覚、切腹・遠島などの弾 圧を受けた。 のちに幕府の介入で、斉興は隠居し、斉彬が藩主となる。 斉 彬の急死後、久光が藩主忠義の実父として藩政を掌握し、幕末薩摩の活動の上 に立つ。

 映画に戻ろう。 『必死剣 鳥刺し』で、藩主の愛妾連子を刺殺した兼見三左 ェ門、切腹は当然だが悪くすると斬首、縛り首の刑も覚悟していた。 だが、 一年の閉門、二百八十石の禄を百三十石に減らし、物頭免職というだけの処分 だった。 側室を原因とする失政に手を出せないため、藩中に充満していた重 苦しい空気は、一掃された形にはなったのだけれど…。

 兼見は妻睦江(戸田菜穂)を亡くしていて、その死を看取った姪の里尾(池 脇千鶴)と、婆さん女中のはな(木野花)の三人暮しになる。 中間と若い女 中には暇を出した。 里尾は、一度家中に嫁いだが、不縁となり、弟の継いだ 実家でなく、叔母の看病に来た兼見の家に居付いた。 里尾は、魚を届けてき た釣好きの親戚兼見伝一郎(高橋和也)に、「おじさまは、自分の死に場所を見 つけるため」だったと思う、と言う。 葉隠の「武士道と云ふは死ぬ事と見付 たり」。 里尾は一室に蟄居して、鳥の木彫などする兼見に尽し、季節は夏から 秋、冬とめぐり、はなはその味噌汁を「亡くなった奥様の味に似て来ましたの う」という。 一年が経ち、閉門御免、風呂で里尾に背中の一年分の垢を流し てもらった兼見は「難儀をかけたな」、「今しばらく一人で御領内を歩いてみよ うと思う」という。