初めて金沢文庫・称名寺を訪う2014/10/30 06:31

 旧伊藤博文金沢別邸の牡丹園で、目の前に広がる海を眺めながら、横浜駅で 買って来たシウマイ弁当を食べた。 牡丹園は、泥亀(でいき)新田を開発し た土地の土豪・永島亀巣が、その邸内に開いて多くの見物客で賑わったのに由 来し、牡丹は横浜市金沢区の花だそうだ。 そういえば昔、鎌倉霊園へ墓参り に行く車から「泥亀」という地名や団地を見て、「ドロガメ」とは不思議な名前 だと思っていた。

12時30分、野島公園駅に集合、再びシーサイドラインで一駅、海の公園南 口駅を降り、私は初めての金沢文庫・称名寺へ向かった。 近くにシャコや穴 子で名高い柴漁港があり、門前の店にはシャコ丼、穴子丼の看板が出ている。  見たままを<門前の店シャコ丼穴子丼>と詠んだが、あとで歳時記を見たら残 念、シャコも穴子も夏の季題だった。

 金沢山(きんたくさん)称名寺(しょうみょうじ)は真言律宗、金沢北条氏 の菩提寺である。 13世紀中頃、鎌倉幕府の要人、北条実時が六浦荘金沢の屋 敷内に建てた持仏堂から発展し、子・顕時に続き、孫・貞顕の時代には、三重 の塔を含む七堂伽藍を完備した大寺院として全盛期を迎えた。 三浦半島独特 の低山、金沢三山(金沢山・稲荷山・日向山)を背景にして、阿字ヶ池を中心 に、中之島・太鼓橋・平橋を配した「浄土庭園」が広がっている。 金堂の右 横の釈迦堂は、江戸期の建築で茅葺だった。 ちらほら観光客や絵を描く人な どが来ていたが、静かでゆったりとした、よいお寺である。 昼下がりの境内 で、1時間半の吟行をする。

 北条実時は好学の武将で、幕府の要職を退いたあと、ここ金沢の別荘で、書 物の蒐集、書写、校合に努め、文庫をつくって、これらの書物を収めた。 子・ 顕時、孫・貞顕も学問を好んだので蔵書は増加し、公開された。 足利学校と 並んで中世教育史上の重要な存在で、学校としての活動もしたという。 鎌倉 幕府滅亡後、蔵書は称名寺に保管されたが、歴代の権力者達によって持ち出さ れ、次第に散逸した。 明治になって復興運動が起り、昭和5(1930)年に神 奈川県立金沢文庫として復活、古書約2万冊、古文書7千通が収められている。  本井先生のお話では、今でもきちんと勉強が続けられているそうだ。