日本人の知恵、「幕の内弁当」的発想 ― 2015/02/20 06:36
私は35年前の1980(昭和55)年10月、朝日ゼミナール「生活の中のデザ イン―日本の知恵と伝統―」で、栄久庵憲司さんの「「幕の内弁当」的発想と生 活文化」という話を聴いたことがあった。 日本が高度成長を成し遂げたのは、 単なる勤勉と労働好きだけではない、長い歴史の中で築き上げられた独特の知 恵が、おのずと吹き出たものと考えられる。 「幕の内弁当」の持っている独 自の感覚とその大衆性こそ、日本人の知恵と体質の顕れと見て、世界の明日に 生きる日本人の人とモノの関係を語りたい、というのが講演の趣旨だった。
その時の、私のノートが残っていた。 オランダ人の客があって、「幕の内弁 当」を用意した。 近所の弁当屋に「元禄花見踊りのような弁当を」と、禅問 答のような注文を出し、華やかさを出すため箱の上に菊の花を一本置いてほし いと頼んでおいた。 フタを取った客は、「ウォーッ」と驚きの声を上げ、「な んと美しい。このまま食べないでいたい」と言った。
日本の美意識には、世の中の森羅万象をいっぺんに楽しみたい、というとこ ろがある。 いろいろな文化が入り込んで、逃げ場を失っているのを、すべて つかまえる(「摂取不捨」)。 ハンドリングしやすい「一尺四方」。 沢山入れ ないでも、沢山あるように見せる、ちょうどよい大きさ(ボクシングのリング)。 限られた世界に、いろいろなものを、うまく入れていく。 人生と同じ。 限 られた時間、空間の中で、完成を目ざす。
「パック」、手の中に入れられる範囲。 範囲を設定しておくと、仕事、研究、 旅行等にしても、きれいにまとめられる。 漠々とした記憶、経験を、記録す ることできれいに整理できる。
「儀式」(年中行事)、コンパクトなもの、一年いっぺん。 正月、雛祭、重 陽の節句など。 秋祭でまとめる、情報交換の場。 法事も、まとめこんで、 次を待つ。 竹の節(ふし)は儀式的、考えて次の節をつくる。 強い。 コ ンパクトなものを、積み重ねる。 生きるプロセスを明快につかむ、安心感。 一年間の計画性。 逆に、厳しい制限が出て来る。 禁欲状態に持ち込んで、 その中でどれだけ美しくできるか。
京都の庭を語るばかりが日本文化ではない。 猫の額のような狭い庭でも、 四季の花を咲かせ、小さな池があり、風鈴や琴の音を聴き、香をたき、茶をた てて菓子を食べ、名月をながめて、俳句を詠む。 パテントなきパテント。 い ろいろなものを集めて、一つにする。 五感。 六感(醍醐味。五感全てがシ ンクロナイズされる)。
「自動車」は西洋人の考案したものだが、日本の車は、小さな世界に、あり とあらゆるものを入れる、日本人の心が作り出したものだ。 ラジオ、ステレ オ、クーラー、時計、リクライニング・シート、と高級車並みの装備だ。 ス バル360。 人々が欲しいものを、並べ替えて入れる。 小さなものの中に、 沢山詰めるほうが価値が高い。 一寸法師。 高密度。 知恵があふれるが如 く出て来る。 まとめのうまさ。 逆に、大きいものは味わいがない。(つづく)
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