豊真将、病気や怪我と戦う相撲人生2015/02/07 06:39

 大相撲初場所で残念だったのは、6日目に豊真将が引退したことだ。 豊真 将が好きだった。 深々と礼をしたり、きちんと手刀を切る所作、四股の脚の 上がりの、美しい力士だった。 真面目さが、そうした姿にはもちろん、左前 褌(みつ)を取り頭をつけて押しに押す粘り強い取り口にも、現れていた。 風 貌から、黙々と稽古を続ける、寡黙な人ではないか、と想像された。 趣味は、 読書と史蹟巡りとある。

 病気や怪我と戦う不撓不屈、ど根性の相撲人生だった。 ウィキペディアに よると、山口県豊浦町(現、下関市)出身、埼玉栄高校で全国大会に出て活躍 し、日大相撲部へ進むが、蜂窩織炎で1年で退部、警備員や鳶職などのアルバ イト中心の学生生活を送った。 大学を中退し、アルバイト先の社長の紹介で、 開設されたばかりの寺尾の錣山部屋に入門、2004(平成16)年3月場所で初 土俵を踏んだ時には、新弟子入門期限間近の22歳11か月になっていた。 同 年11月場所では三段目で全勝優勝、2005(平成17)年1月場所には幕下昇進、 2006(平成18)年1月場所で十両昇進、5月場所に初土俵から凡そ2年で新入 幕を果たす。

 入幕4場所目の2006(平成18)年11月場所、初日豊ノ島に敗れたものの、 その後10連勝で全勝の横綱朝青龍を追った。 朝青龍の優勝を14日目まで引 き伸ばし、12勝3敗で準優勝、敢闘賞と技能賞を同時受賞した。 以来、幕内 上位で一進一退、新三役への昇進ぎりぎりのところで、見送られること二回。

2007(平成19)年11月場所、翌2008(平成20)年1月場所の不振は、後 に血中コレステロール値の異常とその投薬治療が原因だと判明した。 2008 (平成20)年7月場所後に左手首を手術、術後の経過が悪く翌9月場所は自身 初の休場(全休)。 幕尻まで下がった2009(平成21)年1月場所は11勝4 敗の好成績で敢闘賞、3月場所も11勝4敗で三度目の敢闘賞受賞、再び新三役 の可能性があったが、5月場所は東前頭筆頭に据え置かれた。 この場所、初 日から14連敗と苦しみ、千秋楽の嘉風戦に勝利して涙ぐみ、館内が大歓声に 包まれたことは、忘れられない。

 2010(平成22)年5月場所は、東前頭2枚目に番付を上げたが、場所前に 首を痛め、1勝もできないまま7日目から休場した。 11月場所前の秋巡業、 尼崎場所で右足親指の傷口からばい菌が入って破傷風になり、突然41度を超 す高熱を出し入院、一時は意識を失うほどの重症で、生死の境をさまよった。  だが退院して、この11月場所に出場、東前頭3枚目で7勝8敗と負け越した が、琴欧洲と把瑠都の2大関に土をつけた。

 2011(平成23)年9月場所、東前頭筆頭で10勝5敗、11月場所でついに待 望の新三役、西小結昇進を果たす。 30歳6か月になっていた。 その場所は 4勝11敗で陥落したが、2012(平成24)年5月場所には3場所ぶりに三役復 帰(最高位の東小結)して4勝11敗で陥落。 11月場所にまた3場所ぶりに 西小結に復帰したが、4勝11敗。 右肩腱板断裂の大怪我で、翌2013(平成 25)年1月場所は全休、十両に落ちた3月場所も全休、5月場所幕下陥落寸前 の西十両14枚目で9勝6敗、翌7月場所も9勝6敗で西前頭13枚目に復帰す る。 9月場所では、9日目には左肩のテーピングも取れ、10勝5敗。

 昨2014(平成26)年1月場所前に、虫垂炎の手術を受け全休、3月場所は2 度目の十両陥落となったが、14勝1敗で十両優勝を飾った。 もう一度三役を 狙える東前頭2枚目まで番付を戻した7月場所、5日目の日馬富士戦で、右膝 前十字靭帯損傷など右脚を4か所も痛める重傷を負った。 休場が続き、幕下 まで転落した今場所、ついに引退を発表、年寄・立田川を襲名した。