「翠明荘」の津軽「奥膳懐石」2016/05/19 06:20

 旅行初日13日の夕食は、駅前のホテルナクアシティ弘前ではなく、弘前城 にほど近い「翠明荘」という奥膳(おうぜん)懐石の店まで出かけた。 明治 28年、ここ元寺町に津軽銀行頭取などを務めた高谷家が別邸として建築、昭和 9年から12年まで増築され、戦前は第五十九銀行(青森銀行の前身)頭取高谷 英城氏の別邸「玄覧居」として使用された。 建築は堀江弥助(重要文化財の 青森銀行記念館や斜陽館などの建築で有名な名工堀江佐吉一族)の施工で、総 檜・入母屋造り、屋根は丸桟銅板葺き、内装では三間一枚の欅の廊下、七間半 のつなぎ目のない板を敷き詰めた廊下など、現在では手に入らない部材も数多 く用いられている。 欄間や扉などの彫刻は、富山の名工、横山白汀。 座敷 から見える庭は小堀遠州好み桂離宮枯山水の流れを汲む茶庭で、京都から呼び 寄せた名庭園師辻地月の設計という。

 料理は、「津軽」を冠ぶせたものが多く、海の幸、山の幸にあふれていた。 食 前酒は、梅酒だったようだが、顔に似合わぬ下戸なので、お隣のK先生の奥様 に飲んで頂く。 先付の一は、生雲丹(順菜・落し芋・吸酢)。 先付の二は、 アスパラ豆腐(キャビア・旨出汁)。 先付の三は、季節もので、海鞘(ホヤ) の三杯酢。 膳菜は、油目素焼、子持昆布若葉巻、十和田公魚(ワカサギ)南 蛮漬、蕗昆布〆、山独活(うど)酢味噌和え。 お造りは、時魚の天然の鯛、 平目、めじ鮪、時鮭(じゃけ)に、山菜のうるい(オオバギボウシ)などのあ しらい。 お椀は苺煮、苺煮とは八戸市周辺三陸海岸の郷土料理で、雲丹と鮑 (あわび)の吸い物、赤味の強い雲丹の卵巣の塊が野イチゴのように開くこと から名付けられ、三ッ葉をあしらう。 このあたりで、だいぶ腹がくちくなっ てきたが、まだ献立の半分だ。

 焼肴は、帆立貝の焼味噌。 煮合せは、津軽の練り込み、地物の野菜の煮物 だ。 替り鉢は、津軽の烏賊メンチ(烏賊を練り込んだ小型のメンチボール。 漱石なら「イカメンボー」)、青味添え。 留肴は、蒸し鮑(北寄貝、蟹砧巻(蟹 を芯に大根の桂剥きで巻いたもの)、若布、土佐酢)。 食事は、津軽のいなり 寿し(もち米で、紅生姜で味付け)、どっしりと腹に応える。 香の物。 汁は、 けの汁(各種の野菜を8ミリほどの賽の目に刻んだ具の味噌汁)。 水菓子は、 ウサギに剥いた林檎。 甘味は、なでしこ饅頭。 おうす、が出るところが、 城下町らしい。 完食したら、もはや動きが取れないほどの満腹。

 この席に、昨日出て来た「福澤洋学生」の一人、佐藤弥六の孫で『学問のすゝ め』の現代語訳(角川ソフィア文庫・2006年)をなさった佐藤きむさんが、同 席されて、終りにはお土産まで頂戴したが、その話は、また明日。

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