「“黄金の島”佐渡は“キセキの島”!?」 ― 2016/09/12 06:13
3日の『ブラタモリ』は#46佐渡、「“黄金の島”佐渡は“キセキの島”!?」 だった。 佐渡には、大昔に行ったことがある。 両津で船を降り、バスで国中 平野を相川へ行く間、ずいぶん大きな島だなと感じた。 “キセキ”は、奇跡 と奇石か。 タモリは小木でたらい舟を試した後、金山の相川へ。 「道遊(ど うゆう)の割戸」という、採掘のためにパックリ割った山を見る。
吹上海岸で石英の中に金が入り込んだ“キセキの石”球顆流紋岩を案内した 女性の、佐渡ジオパーク推進協議会のホームページで、番組の説明を補いなが ら書いてみる。 佐渡と金銀山の生い立ちは約3000万年前にさかのぼる。 当 時、日本はユーラシア大陸の一部だったが、地下深部から上昇するマントルの 動きによって大陸から切り離され、移動して、弧状の列島となった。 佐渡周 辺では火山活動が約1300万年間も続き、マグマの周辺では高温・高圧の熱水 が形成され、そこに金や銀など有用な金属が溶け込んだ。 熱水は断層に沿っ て上昇し、温度・圧力の低下によって、マグマが冷えて固まる時に、石英が入 り込み、金銀の鉱脈(鉱床)を形成した。 さらに約300万年前、海底の隆起 運動が始まって、盛り上がり、標高1000メートル以上の山地を持つ佐渡島が 誕生した。 金鉱脈には白い筋の石英があり、金鉱石は銀黒(ぎんぐろ)と呼 ばれる石英中に輝銀鉱および自然金の微粒子が脈状に存在するものであった。 普通1トンの金鉱石から2~3グラムの金がとれるが、佐渡では平均5グラム の金がとれた。
こうした成立の“奇跡”によって、佐渡の岩盤は固くて、崩れない。 それ で地下650メートルまで、自由に蟻の巣のように掘ることができた。 2003 年1月18日の「新日本風土記」「佐渡」では、昭和初めの坑道の総延長は270 キロメートルだったが、長さ400キロメートル、深さ600メートルまで掘り進 めた(平成元(1989)年閉山)と言っていた。
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