「貴様はオタンチン・パレオロガスだ」2016/10/24 06:30

 漱石の第五高等学校での月俸は100円だったが、当時官吏は製艦費(軍事費) として1割天引きされ10円、大学時代の貸費返済が7円50銭、父への仕送り が10円、姉への仕送りが3円、その他書籍代に20円使ったため、暮しは楽で はなかった。

 熊本での新婚生活は、お嬢様育ちで19歳の鏡子夫人が、家計のやりくりや、 突然連れて来られた田舎の環境に順応するのに苦労があったろうことは、容易 に想像できる。 ドラマでは、五高に漱石の顔を見に行った夫人(尾野真千子) が、廊下の先で立ち話をしている漱石を認め、さかんに手を振っているのを、 見ていながら無視して漱石(長谷川博己)が行ってしまう場面が印象的だった。  私はドラマで初めて知ったのだが、流産をしてヒステリー症が激しくなった鏡 子夫人が、白川井川淵に投身するということもあった。 そして、結婚3年目 の明治32(1899)年初めての子供・筆子(半藤末利子さんの母)が誕生する。  漱石は<安々と海鼠(なまこ)の如き子を生めり>と詠んだ。 熊本での生活 は、明治33(1900)年6月、漱石がイギリス留学を命じられるまで、4年3 か月に及ぶ。 そしてドラマは、第2回『吾輩は猫である』となる。

 私の子供の頃、両親は兄と私と弟の三人をからかう時、よく「オタンチンパ レオロガス」と言っていた。 それが漱石の『吾輩は猫である』から来ている ことは、知らなかった。 熊本時代、生来の朝寝坊だったという鏡子夫人を、 漱石は「オタンチンノパレオロガス」と、からかっていたという。 言われる 夫人は、意味がわからず、英語か何かと思い込んでいた。

 『吾輩は猫である』では、こうなる。 苦沙弥先生の家に泥棒が入った翌日、 巡査が来て、落語の「花色木綿」のように、盗られた物を書き出すことになる。  主人は筆硯を座敷の真中へ持ち出して、細君を前に呼びつけて「これから盗難 告訴をかくから、盗られたものを一々いえ。さあいえ」とあたかも喧嘩でもす るような口調でいう。/「あら厭(いや)だ、さあいえだなんて、そんな権柄 ずくで誰がいうものですか」と細帯を巻き付けたままどっかと腰を据える。/ 「その風はなんだ、宿場女郎の出来損い見たようだ。なぜ帯をしめて出て来ん」 /「これで悪るければ買って下さい。宿場女郎でも何でも盗られりゃ仕方ない じゃありませんか」/「帯までとって行ったのか、苛(ひど)い奴だ。それじ ゃ帯から書き付けてやろう。帯はどんな帯だ」 黒繻子と縮緬の帯、六円位。  糸織の羽織、十五円。 黒足袋が一足、「あなたんでさあね。代価が二十七銭」。  「山の芋が一箱」/「山の芋まで持って行ったのか。煮て食うつもりか、とろ ろ汁にするつもりか」/「どうするつもりか知りません。泥棒の所へ行って聞 いていらっしゃい」/(中略)「知りませんわ、知りませんが十二円五十銭なん て法外ですもの」/「知らんけれども十二円五十銭は法外だとは何だ。まるで 論理に合わん。それだから貴様はオタンチン・パレオロガスだというんだ」/ 「何ですって」/「オタンチン・パレオロガスだよ」。

 そこへ、もとこの家(や)の書生で、法科大学卒業、山の芋の寄贈者多々良 三平君がやって来る。 姉のとん子が、多々良の禿を見つけて、「あら多々良さ んの頭はお母さまのように光つてよ」という。 夫人が、髷で釣る所は女だか ら少しは禿げますさ、と禿の事を英語で何とかいうと聞く。 「禿はボールド とかいいます」/「もっと長い名があるでしょう」(中略)「オタンチン・パレ オロガスというんです。オタンチンというのは禿という字で、パレオロガスが 頭なんでしょう」

 現在の朝日新聞連載の、註に【オタンチン・パレオロガス】「オタンチン」は、 のろま、まぬけ、の意。それを東ローマ皇帝コンスタンチン・パレオロガスに ひっかけて言ったもの。(石崎等・立教大名誉教授の集英社文庫版の注釈をもと に作成)

コメント

_ 濱田洪一 ― 2016/10/24 21:39

かわさき市民アカデミー 没後百年に読み直す漱石Ⅱで、石崎等名誉教授に紹介していただいた、「漱石-絵はがきの小宇宙」、日本近代文学館11/26まで、見てきました。漱石、土井晩翠、寺田寅彦ら明治の人の絵のうまさに感心しました。

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