「新しい維新」・翻訳語「競争」の始造〔昔、書いた福沢130〕2019/10/17 07:05

        「新しい維新」<小人閑居日記 2002.2.20.>

 来日中のブッシュ米大統領は19日、国会での演説の結論部分で、福沢諭吉 に触れた。 その部分の全文を、新聞から引いておく。

 「日本は、革命を通じてでなく、刷新を通じて前進するという、誇りある歴 史を持っている。  明治維新の英雄の一人、福沢諭吉は西洋世界を変革させた経済理念に興味を 持っていた。 諭吉は、これらの思想が繁栄を触発し、貧困から何百万人もの 人々を救っていることを知った。 そして、諭吉はこれらの経済理念を紹介し ようとした。 彼はある重要な経済学の教科書を日本語に翻訳するなかで、日 本語にはなかった英語の「competition(競争)」という言葉に出あった。 そ こで彼は「kyoso(競争)」という新しい言葉をつくった。 それによって日本 語は、以前より豊かなものになった。

 しかし、「kyoso」は言葉以上のものを持っている。 それは精神であり、倫 理である。 競争は自由主義国の人々の潜在能力を開花させ、改革を引き出す 原動力にほかならない。 1世紀以上も前に、競争のおかげで、日本経済を近 代経済へと推進させるのに役立った。 半世紀前には、世界から称賛された奇 跡的な戦後経済を加速させたのだ。

 抜本的な改革や十分な競争を通じて、いまや日本は繁栄と経済成長の回復に つながる、新しい維新へと船出した。 自由を守り、開発を促進し、改革を推 進するといった日本を待ち受ける将来の作業において、米国政府は強固な日本 の同盟国になるだろうし、米国民は揺るぎない友であり続けるだろう。  ご静聴ありがとう。」

        翻訳語「競争」の始造<小人閑居日記 2002.2.23.>

 『福翁自伝』の「王政維新」の章、「幕府の攘夷主義」という小見出しのある 部分(岩波文庫本で184頁)に、こんなことが書いてある。

 福沢諭吉はロンドンで買って来たチェンバーズ(兄弟)社の教育叢書の『政 治経済学』(のちに明治元年、その前半を訳し『西洋事情外編』として出版した。 著者はジョン・ヒル・バートン)を一冊持っていた。 ある時、何かの話のつ いでに、幕府の勘定方の有力な人、今で言えば大蔵省の重要な役人に、その本 のことを話すと、たいへん喜んで、目録だけでもいいから見たいと所望した。                    

 そこで翻訳を始めると、「コンペチションcompetition」という原語に出遭 (あ)った。 いろいろ考えた末に、「競争」という訳語を造り出して、これに 当てはめ、前後二十条ばかりの目録(「要点の箇条書き」か)に翻訳して、これ を見せたところ、その人はそれを見て、しきりに感心していたのだが、「ここに “争い”という字がある、どうもこれが穏やかでない、いったいどういうこと か」と尋ねる。

 「どんなことかって、別に珍しいことではない、日本の商人でもやっている ことで、隣で物を安く売っていれば、こっちの店でもそれより安くしよう、ま た甲の商人が品物を良くするといえば、乙の商人はそれより一層良くして客を 呼ぼうということで、またある金貸が利息を下げれば、隣の金貸も利息を安く して店の繁盛をはかるというようなことで、互いに“競い争うて”、それでもっ て、ちゃんと(おのずから)物価も決まれば、金利も決まる、これを名づけて “競争”というのでござる」

 「なるほど、そうか、西洋の流儀はキツイものだね」

 「何もキツイことはない、それ(競争の原理)によって、すべての商売世界 (社会)の大本が決まるのである」

 「なるほど、そう言われれば、わからないことはないが、どうも“争い”と いう字が穏やかでない。 これでは、どうもご老中方にご覧に入れることは出 来ない」と、みょうなことをいう。

 福沢、カチンときて「どうも“争い”という字が差しつかえるのなら、ほか に翻訳のしようもないから、これはみんな削りましょう」と言って、“競争”の 文字を真っ黒に消して、目録書を渡したという。

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