オールコック『大君の都』、岩波文庫の値段 ― 2020/12/31 07:12
私は永井荷風が『墓畔の梅』で、ヒュースケンの葬式の模様を読んだという、英国公使オルコックの『大君の首都における三年』と題された名高い記録を、岩波文庫の三分冊『大君の都―幕末日本滞在記』、山口光朔訳で持っていた。 Sir Rutherford Alcock著、原題はTHE CAPITAL OF THE TYCOON : A NARRATIVE OF A THREE YEARS’ RESIDENCE IN JAPAN。 だから、中巻のその部分を読むことができたのだが、それが書棚にあったのは、下記のような事情があった。
「等々力短信」がまだ「広尾短信」で、創刊初年の1975(昭和50)年8月5日の第17号に、みみっちい話だが、岩波文庫が★一つ70円から100円に値上げになるというので、ペルリの『日本遠征記』、オールコックの『大君の都』、ハリスの『日本滞在記』、ウィンパーの『アルプス登攀記』、リードの『世界をゆるがした十日間』、ベルツの『日記』、『唐詩選』など、前から欲しかった分冊ものを中心にツンドク本を増やした、とある。
岩波文庫が発刊されたのは1927(昭和2)年7月、100ページを単位にして★一つ20銭、「低定価高正味」が売りだった。 岩波新書の発刊は、1938(昭和13)年10月、こちらは同年発行された50銭紙幣に因んで1冊50銭に統一された。
本棚から赤茶けた岩波文庫、黄色くなった岩波新書を取り出してみた。 1951(昭和26)年2月20日第17刷の『銀の匙』が★二つで60円(★一つ30円)、1962(昭和37)年5月30日第16刷の『学問のすゝめ』が★二つで80円(★一つ40円)。 この『学問のすゝめ』には「100冊の本-岩波文庫より」の広告が付いていて、「★一つ40円」というのを消してある。 この頃、値上げがあったのだろう。 岩波新書は、青版369石井孝著『明治維新の舞台裏』1960(昭和35)年1月30日の第2刷が定価100円だった。
岩波文庫から★が消えたのは何時だろうか、1981(昭和56)年4月の新渡戸稲造『武士道』第24刷(150ページ)には★がなく定価250円となっている。
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