「福沢諭吉と銭湯」の謎2021/04/22 06:54

 17日のTBSテレビ「世界ふしぎ発見!」で、福沢諭吉が慶應義塾の前で銭湯を経営していたというのと、箱根の温泉の発展に貢献したことを、やっていた。 箱根温泉のことは、今までいろいろと書いてきた(箱根福住旅館と福沢<小人閑居日記 2003.10.20.>、「六四の会」で箱根に一泊旅行<小人閑居日記 2019.6.14.>、湯本の福住から始まった『ブラタモリ』「箱根の温泉」<小人閑居日記 2019.6.15.>など)。 だが、銭湯経営のことは、だいぶ前に下記を書いたが、どうもよくわからない。 番組にも登場した銭湯博士町田忍さんに、2002年当時、出典などを教えてくれるように、問い合わせたけれど、返信がなかったような記憶がある。

      福沢諭吉と銭湯<小人閑居日記 2002.5.13.>

 最近、私の本を読んでくれたFさんが、ハガキでこんなことを知らせてくれた。 「福沢諭吉が三田に銭湯を作ったこと」が、田村隆一(詩人)と立川談志の対談に出てくる、と。 『談志人生全集』第二巻(講談社刊・99年10月第1刷365頁)だというので、散歩のついでに寄った尾山台図書館に頼んで取り寄せてもらった。

 小島政二郎さんが談志の贔屓だという話になって、今度小島政二郎さんに会ったら聞いてくれと、田村隆一さんが談志に言う。 田村「福沢諭吉が最初に作ったのは、何か。 これが銭湯なんです」 談志「ほう」 田村「当時の三田の慶応義塾というのは生徒の数も少ないし、寂れていて寮にも風呂がない。 いっそのこと銭湯を作ろうというんで銭湯を経営したというんです。 はじめは二百人余りの生徒が入っていたけど、それじゃ成り立たないので、三田の村の人にも開放した。 湯銭が当時一人当たり五厘」

  この話、福沢耳学問の私は、聞いたことがなかった。 ちょっと探してみたが、出てこなかった。 福沢は広く、深い。 また、一つ宿題が出来た。

       銭湯をちょいと覗く<小人閑居日記 2002.5.14.>

 きょうは、一日貼りついていないとならない用事があった。 昨日福沢関係の本をちょいと探して駄目だったので、Google で「福沢諭吉 銭湯 経営」で検索したら、39件出た。 ざっと見ると、銭湯博士町田忍さんという方の『銭湯の謎』(扶桑社)という本など、二、三それらしいことを書いているものもある。 くわしく調べる時間はなかったが、福沢関係文献の記述につながるものは、見つからなかった。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
「等々力」を漢字一字で書いて下さい?

コメント:

トラックバック