問題の、漱石の子規宛書簡2021/11/22 07:10

 そこで、和田茂樹編『漱石・子規 往復書簡集』(岩波文庫)を持っていることに気づいた。 問題の手紙も、当然収録されていた。 学生時代の手紙らしく、差出人は「凸凹」、宛名は「物草次郎殿」。 牛込区喜久井町一番地 夏目金之助より 松山市湊町四丁目十六番戸 正岡常規へ。

 「去る十六日発の手紙と出違に貴翰到着、早速拝誦仕候。人をけなす事の好きな君にほめられて大に面目に存候。嗚呼(ああ)持つべき者は友達なり。/愚兄得々賢弟黙々の一語、御叱りにあづかり恐縮の至り。以来は慎みます。」と始まる。

 子規は、この年1月帝国大学文科大学哲学科から国文科に転科していたが、 6月学年試験を放棄して、木曽路を経て帰郷、病気になっていた。 病状が芳しくなく追試験が受けられないと聞き、漱石の金之助は「人爵は固より虚栄学士にならなければ飯が食へぬと申す次第にも有之間(これあるま)じく候得ば、命大切と気楽に御修業可然(しかるべし)と存候。それについても学資上の御困難はさこそと御推察申上候といふまでにて、別段名案も無之(これなく)、いくら僕が器械の亀の子を発明する才あるも開いた口へ牡丹餅を抛(ほう)りこむ事を知つて居るとも、こればかりはどうも方がつきませんな。それも僕が女に生まれていればちよつと青楼へ身を沈めて君の学資を助るといふやうな乙な事が出来るのだけれど……それもこの面ではむつかしい。/試験廃止論貴察の通り。泣き寐入りの体裁やつた所が到底成功の見込なしと観破したり。」

 そして、問題の件。 「ゑゑともう何か書くことはないかしら。ああそうそう、昨日眼医者へいつた所が、いつか君に話した可愛らしい女の子を見たね。――(銀)杏返しに竹なはをかけて――天気予報なしの突然の邂逅だからひやつと驚いて思はず顔に紅葉を散らしたね。まるで夕日に映ずる嵐山の大火の如し。その代り君が羨ましがつた海気屋で買つた蝙蝠傘をとられた。それ故今日は炎天を冒してこれから行く。」

 註に「海気屋」の説明があった。 「当時、神田区(現、千代田区)小川町にあった洋傘屋「甲斐絹屋」のこと。「海気」はもと舶来の織物の名。傘地などに使われる。甲斐の国郡内地方の名産であることから「甲斐絹」とも書かれる。」 「炎天」でも差すとは、当時は、男も日傘を差したのだろうか。 最近、差す人もいるようだが…。

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