柳家小里んの「五人廻し」前半2023/07/01 06:58

 廓が無くなって65年、昭和33年、10歳だったから、まだ遊びに行けない歳で残念と、小里んは始めた。 中学、高校の頃から、廓噺をやりたかった。 今、廓噺がやりやすくなった、廓を知ってる人がいないから。

 関東にある「廻し」が、関西にはなかった、泊りは一人。 「廻し」には乙なことがある、自分のところが十分でも長いと心持がいい。 背負い(しょい)投げを食らって、煙草ばかり喫ってる、布団の上に座って木魚みたい。 来るんじゃなかったよ、初会はよかった、まったく顔出さないじゃないか、お袋の墓参りに行けばよかった。 隣は、よくしゃべるな、お静かに願いますよ。 静かになったが、今度は気になるよ。 廻し部屋は汚いな、落書きだらけだ、「この楼(うち)は、牛と狐の騙し合い、モウ、コン、コン」。 天井にもある、「精神一到何事か成らざらん」、女郎屋に書く文句じゃないね、来るんじゃなかった。 来たよ、間夫は引け過ぎっていうからね。 通り過ぎたよ。 アーア、かみさん大事にしよう、玉取らないし、廻しも取らない、半襟でも買って帰るか。

 バタン、ズルン。 来たか、寝ちゃあ、負けだ。 助平だと思われるから、目を開けて、イビキをかくか。 今晩は、何か御用ですか。 若エ衆か。 お目覚めですか。 目覚めっぱなしだ。 お気の毒で。 悔やみを言うな。 お敵娼(あいかた)は、喜瀬川さんで、程なくお廻りになります。 チラッと顔出す三日月女郎というが、まったく顔も出さないのは月蝕女郎か。 帰エるから、一円返せ。

 もっと人間らしいのを連れて来い、お前は出来のいい猿だ。 ここは寝ず番の私が引き受けておりまして、ご用を受け賜わります。 廓の法、廓法というものがございまして。 何が廓法だ、こちとら三つの歳から大門を出入りしてるんだ。 お早い、お道楽で。 廓は、明暦三年幕府が庄司甚右衛門の願い出を許可して新吉原が出来た(以下、吉原の歴史と町並みが滔々と語られる)。 こちとら廓の隅から隅まで、水道尻の犬の糞まで知ってるんだ。 塩、ぶっかけるぞ。 二つにして、捨てるぞ。 なんだ、よくしゃべりやがったね、三つの歳から大門を出入りしたなんて、おおかた、吉原に捨て子かなんかされたんだろう。