福沢諭吉の西航手帳2023/07/30 08:25

         等々力短信 第295号 1983(昭和58)年8月15日

                福沢諭吉の西航手帳

 文久2(1862)年、福沢諭吉はパリで一冊の手帳を買った。 縦17.2横7.2センチの黒革表紙、中は無罫の白紙が82枚、見返しと三方の小口がマーブル模様になっている。 のちに福沢諭吉全集の編者によって「西航手帳」と名づけられるこの手帳に、福沢はヨーロッパ旅行中の見聞を克明に書きとめた。 福沢諭吉全集第19巻には、この手帳がそっくり写真版で収録され、27歳の福沢がヨーロッパ文明に接触した、なまなましい臨場感が伝わってくる。 ぜひ一度ご覧いただきたい。

 先ごろ岩波から出た新書版の福沢諭吉選集の解説は、それぞれ現在の福沢諭吉研究の先端をまとめてくれているという点で、大変ありがたいものだが、その第1巻『西航記、西洋事情ほか』の松沢弘陽さんの解説は、福沢が一年近いヨーロッパ6か国歴訪の中で、“いかに”見聞し、それを『西洋事情』でいかに“まとめ上げて”いったかの“プロセス”を明らかにして、前回の私の疑問に一つの解答を与えてくれている。

 松沢さんは、第一に福沢が日本で原書を読んでもよくわからなかった点、特に社会諸制度の調査に的をしぼったことをあげる。 ヨーロッパでは、現地に行って実見し、そのことをよく知っている人をつかまえて、問いただすことに終始した。 「西航手帳」こそ、そのフィールド・ノートで、現場での聞きとりのメモ、筆談の記入、わからない外国語を書いてもらったらしい記入に満ちていて、社交家福沢の積極的な活動を伝えている。

 第二に、福沢の調査行は、系統的で、組織的だった。 病院を視察すれば、次にその病院について目に見えない背景、運営方法、経営などについて調べ、さらにその国の病院制度一般に至る。 未知の社会の一点から出発して、今日われわれが議会制や西欧国家体制と呼ぶ、抽象的な「制度」や原理にまで一歩一歩迫ってゆく、というのである。

 第三に、福沢は実地の探索に努めながらも、その限界を自覚していて、「読書」によってそれをおぎなおうとした。 「御手当金は不残書物相調、玩物一品も持帰ざる覚悟に御座候」と同藩の重役に書き送っているとおり、レファレンス文献、民衆啓蒙用の書物、初等教科書などを買いまくった。

 第四に、福沢諭吉にとっての学問は、「著書演説」によって、その「知見を散ずる」ことをその帰結として含んでいた。 『西洋事情』がベストセラーになり、福沢の見聞は日本を動かすシナリオになった。