「等々力短信」に加えて、毎日更新の「小人閑居日記」も2023/07/14 07:04

 1976年(昭和51)年10月に等々力に引っ越し、10月15日の59号から「等々力短信」とする。 ハガキ版は、1982(昭和57)年9月5日の262号までで、263号からワープロ専用機「文豪」を採用、A4判一枚の手紙スタイルにした。

 1991(平成3)年3月から、パソコン通信ASAHIネットに電子フォーラム「等々力短信・サロン」を設けてもらい、「等々力短信」の配信も開始。

 窮々自適の閑居生活に入った2001(平成13)年1月25日の899号から月一回25日の発行とした。

 2005(平成17)年5月25日の951号からは、インターネットのブログ「轟亭の小人閑居日記」http://kbaba.asablo.jp/blogにも配信開始。  ASAHIネットのパソコン通信当初からの方針により、実名での発信を続けている。 2019(平成31)年5月31日にASAHIネットが電子フォーラムのサービスを休止したので、ブログ一本になった。 2001年11月29日から、ほぼ毎日更新しているので、2023年7月9日現在、8200編を越す勘定になる。

 この間、「等々力短信」を4册の私家本にした。  1986(昭和61)年11月5日『五の日の手紙』(岩波ブックセンター信山社製作)刊行、261号(1982.8.25.)~400号収録。 1990(平成2)年12月5日『五の日の手紙2』刊行、401号(1986.8.25.)~540号収録。 1994(平成6)年12月5日『五の日の手紙3』刊行、541号(1990.8.25.)~680号)収録。 2001(平成13)年4月5日『五の日の手紙4』(錦プロデューサーズ㈱製作)刊行、681号(1994.8.25.)~890号(2000.9.25.)収録。

 「ひとり新聞」の内容。 三本柱は、「落語」、「福沢」、たまに「俳句」。 ブログのカテゴリーの数で、「落語」1475、「福沢」1571、「俳句」667。

「落語」。 今日、7月9日は、先代の桂文楽が「四万六千日お暑い盛りでございます」と言っていた浅草浅草寺の鬼灯市の日。 三宅坂の国立小劇場のTBS落語研究会に、昭和43年の第1回から通う、6月で第660回。 ブログにマクラから下げまで全部書いている、平成の落語がどんなものだったか、の資料になるかも。

「福沢」。 唯一の発見は「バルトンとバートン」。 明治日本の衛生工学、水道下水道の先生、W・K・バルトンと、福沢を通じてその父親が、親子で日本の近代化に貢献していたことが判明した。 1983年ハーバード大学のクレイグ教授の研究で、福沢の『西洋事情』外編の主体になったチェンバーズの『政治経済学』のチェンバーズというのは出版社であって、著者はジョン・ヒル・バートンというスコットランド人であることが明らかになった。 そのことにふれた私の『五の日の手紙3』(1994年)「『西洋事情』を読む」を、W・K・バルトン研究家の稲場紀久雄大阪経済大学教授がお読みになったことから、W・K・バルトンの父親ジョン・ヒル・バートンと、福沢に影響を与えたジョン・ヒル・バートンが同一人物だということが判明したのだった。

「俳句」。 5W1Hの新聞部出身の影響か。 説明してはいけない俳句は、上達せず。