柳家小満んの「鹿の子餅」より「江戸小咄」2022/11/04 07:01

 危なくマスクをしたまま、出てきそうになりました、と小満ん。 「鹿の子餅」より「江戸小咄」、三つぐらいなのに、20分やってくれと言われたので、ゆっくりしゃべろうと思っています。 「鹿の子餅釈迦の頭の後ろ向き」、銀座4丁目に専門の店がありますが、二ツ目の頃、鹿の子餅をよく御使い物に使いました、「はな鹿(しか)の子」てんで。

 宝暦の半ば、二丁町の操り人形座の仕事で人形職人が多く住んでいたんで人形町(まち)、人形町(ちょう)、道化役者の嵐音八というのが人形町に「鹿の子餅」の店を出し、四尺くらいの小僧人形、不二家のペコちゃんみたいなもの、が鹿の子餅の包みやお茶を出す仕掛けで大評判になった。 嵐音八は明和6(1769)年に亡くなり、三年経った安永元(1772)年『鹿の子餅』という小咄本が刊行され、江戸小咄流行のきっかけとなった。 著者は「山風」とあり、嵐音八に託されている。 嵐を上と下に分けて「山風」なのだ。 作者は、実は木室卯雲(きむろ・ぼううん)で、木室朝濤(ともなみ)というお侍、幕府御家人、口絵に肖像画があるが、幕府を憚って「山風」の偽名を使った。 本の体裁は、半紙四つ折(普通は二つ折)の小本で、63話入っている。 上方には軽口本があったが、江戸前で簡潔、小気味よいので、千冊以上売れた。

 その『鹿の子餅』の中から、いくつか、皆さんにおしゃべりしましょう。 文章がいい。 適当に誤魔化し……、わかりやすく、親切に。 お腹の中で、クスッと笑ってくれれば、結構です。

 「浪人」 雨の降る日の真の浪人。 門口におこもが来て、「お余り物はございませんか」。 「余らん!」と断った。

 「初夢」 正月二日の晩。 お宝屋が売りに来た。 宝船の紙を枕の下に入れて寝ると、いい夢を見た。 町内の人をご馳走するから呼んできてくれ、訳は、後で話します。 食べて、飲んで下さい。 どういう吉事で? いい夢を見た、お告げなんだよ。 一富士、二鷹、南無三……、間違えた。 「なすび」だ、南無三、しまった、間違えた。

 「恋病み」 恋の女子(おなご)は癪のタネ。 ぶらぶら病い。 おんば(乳母)さんは分る。 どなた? お向うの茂さま、お隣の文朝さんですか。 誰でもいいの。 手引き、薄情な娘は乳母にしてもらい。 御破算で願いましては、次の恋。

 「乞食」 三日も食べてない。 可哀想ね。 一昨日の残り物でも結構です。 明後日、いらっしゃい。

 「町道場」 先生、昨日は他流試合だったそうで。 手酷いことになった。 どんな塩梅で? 真一文字に打ち込んで来たので、さそくの早技で、額で受けた。

 「このわた」 武家の料理方、シーズンの「このわた」を出すのに、「ご風味を」と味見を頼む。 少ししか量がないので。 いや、まだノドを通してないから、楊枝で戻す。 品のいい食べ方、楊枝でひっかけるのがマナー、往復を指南した。 師匠の小さんは、「このわた」さえあればという人だった。

 「明和八年の出水」 出水があった。 深川、神田川が決壊。 木場から薪の束が流れ出した。 乞食が薪屋になって、薪屋が乞食になった。

 「家見舞」 浪人者が、裏店に引っ越したので、家見舞に行く。 一つへっついがあるだけで、お茶も出ない。 いざ戦となれば、何も持たぬ。 大きな石は、何? 寒い時に持ち上げるんだ。

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