金沢で発展した能楽「加賀宝生」、文化重視の前田家2023/11/20 06:57

 10月中旬に金沢へ行った時は、兼六園ではまだ「雪吊り」はしていなかった。 11月5日に、三田あるこう会の第560回例会で立川の国立昭和記念公園へ行ったら、日本庭園のシンボルツリー、立派な松に見事な「雪吊り」がしてあった。

 『新日本風土記』「金沢あじわい冬の旅」、「雪吊り」をする植木屋さんが、松の手入れをしながら木の上で、謡(うたい)をうなっている場面があった。 植木職人が仕事をしながら謡を口ずさむので、金沢では「謡が空から降ってくる」と言われるようになったのだそうだ。 駅中のおでん屋さんの会長も、創立70年を祝う立派な宴会で、謡「八島」を演じていた。

 江戸時代、能は幕府の「式楽」となり、それぞれの藩でも能役者を召し抱え、藩主は能を稽古するようになった。 加賀藩では、代々の藩主が能楽、中でも宝生流をたいへん愛好した。 宝生流を愛好するようになったのは、五代藩主・前田綱紀が、宝生流贔屓だった将軍徳川綱吉の影響を受けて、宝生流を稽古したことによるという。 加賀藩では町民にも能を奨励し、町民も町役者として城中の演能に出演することが許され、税の免除や、名字を名乗れるなどの優遇措置があった。 こうして金沢は能楽、宝生流が盛んな土地となり、「加賀宝生」と呼ばれるようになった。 二代藩主・利長以来続く大野湊神社神事能は400回以上を数える。 この能楽「加賀宝生」を始め、九谷焼・蒔絵・友禅・金箔などの伝統工芸が盛んなのは、徳川に潰されないために軍事より文化を重視した前田家の政策のおかげなのだった。