「五箇条の誓文」と、『西洋事情』文明政治の六条件2024/11/03 07:31

 まず、「五箇条の誓文」。 平山洋さん(静岡県立大学助教)の『福澤諭吉 文明の政治には六つの要訣あり』(ミネルヴァ書房)に、『西洋事情』と「五箇条の誓文」の関係についての指摘がある。 「五箇条の誓文」の骨子は、第一条・広く会議を起こしていっさいを議論によって決定すること、第二条・官民一体となって経済を盛り立てること、第三条・朝廷と諸侯は協力して庶民の生活向上に配慮すること、第四条・旧慣を打破して普遍的な価値観に基づいた政治を行うこと、第五条・知識を世界に求めて統治の基礎とすることの、五箇条である。 「五箇条の誓文」は、諸侯会議派の参与由利公正(福井藩)と福岡孝弟(土佐藩)が中心となって立案したものだが、由利は実学者横井小楠(熊本藩)の弟子、また福岡は後藤象二郎や坂本龍馬とともに土佐藩実学派を牽引してきた人物で、やはり小楠の影響下にあった。 福沢諭吉は熊本藩の大田黒惟信(これのぶ)や牛島五一郎といった小楠門下生と交流していたので、議会政治と経済振興政策を主眼とする小楠の思想は、福沢の発想にも影響を与えた可能性がある。 一方小楠の弟子筋としては、『西洋事情』が出版されたことで、それまで曖昧にしか把握できなかった議会や金融の仕組みを正確に理解できるようになった。

 「五箇条の誓文」は、相当に圧縮された表現になっているので、『西洋事情』からの直接の影響を指摘するのは難しい。 とはいえ、両者を読み比べたときの類似点は一目瞭然である。 たとえば誓文の第一条は『西洋事情』冒頭にある英国の政治機構の説明と、第二条は文明政治の六条件のうち第五条件「保任安穏」と、第三条は同じく第一条件「自主任意」と、第四条は『西洋事情』に掲載されているアメリカ独立宣言の最初部分と、そして第五条は文明政治の第三条件「技術文学」と相似た内容をもっている。 『西洋事情』は当時誰もが読んでいたという状況であったから、五箇条の誓文にその内容が反映されているのである。

 文久2(1862)年、遣欧使節団でヨーロッパに行った福沢諭吉は、のちに「西航手帳」と名付けられる手帳に、日々の取材メモを綴った。 その手帳に、文明政治の五条件として、(1)自由の尊重、(2)統治主義、(3)信教の自由、(4)学校教育の拡大、(5)科学技術の導入、と記している。 慶応2(1866)年刊行の『西洋事情』では、(6)福祉の充実、を加え、文明政治の六条件として、第一条・自由を尊重して法律は寛容を旨とすること、第二条・信教の自由を保障すること、第三条・科学技術を奨励すること、第四条・学校を建設して教育制度を整備すること、第五条・法律による安定した政治体制のもとで産業を振興すること、第六条・福祉を充実させて貧民を救済すること、を挙げたのだ。