沢木耕太郎さんの司馬遼太郎賞受賞スピーチ2014/02/08 06:29

「菜の花忌」で頂いてきた「菜の花」咲く

 1日、司馬遼太郎さんの第18回「菜の花忌」(忌日は2月12日)が、文京 シビックホールであり、申し込んだ抽選に当たって、参加させてもらった。 第 一部は司馬遼太郎賞とフェローシップ(若い人への研究奨励金)の贈賞式と昨 年のフェローシップ受賞者の報告、第二部は「この時代の軍師―『播磨灘物語』 から考える」シンポジウムだった。 第17回司馬遼太郎賞は、沢木耕太郎さ んの『キャパの十字架』(文藝春秋刊)に贈られた。 沢木さんは、戦争写真家 ロバート・キャパの代表作「崩れ落ちる兵士」について、残された写真類を検 証し、現地に幾度も足を運びつつ、名作誕生の真実を解明していく。 それは 常に新しいノンフィクションの〈方法〉を探求してきた沢木さんの集大成と思 える作品であり、またスペイン内戦という歴史の一幕に新しい光を与えた点で、 現代における『街道をゆく』を彷彿とさせられる、というのが贈賞理由だった。

 沢木耕太郎さんの受賞スピーチ、けっこう長い話になった。 沢木さんは、 小学6年か中学1年の時、司馬さんを初めて読んだという。 昭和30年代の 初め、東映の時代劇映画の全盛期で、中村錦之介、東千代之介、大川橋蔵、悪 役は進藤英太郎、月形龍之介、山形勲が順列組合せで出演していた。 大川橋 蔵の『新吾十番勝負』を観てひどく感動、父親に話すと、原作がある、川口松 太郎の小説だと言う。 大田区の家のそばに貸本屋があり、それまで右側の子 供向きの漫画・本・雑誌の棚ばかりだったのを、初めて左側の大人の本や雑誌 の棚を見た。 川口松太郎の原作があり、読んだら面白かった。 その瞬間か ら左側へ行くようになり、柴田錬三郎、五味康祐など時代小説を沢山読んだ。  そんな中に司馬さんの『梟の城』があった。 厚い本で、貸本は一冊10円だ から、厚いのは得な気がして、借りて読んだ。 子供心に、これは今まで読ん だ時代小説とは違うな、と思った。 その時は、どこが違うか分らなかったが、 後で、再読して分かった。 一つは司馬さんの「向日性」、日に向かう明るさだ。  これは処女作だが、もうそれがあった。 乱波(らっぱ)・忍者が、秀吉の寝首 を掻こうと忍び込む。 これから読む人がいるかもしれないけれど、言っちゃ いますね。 寝ている秀吉が、小さいタダの老人なのを見て、馬鹿馬鹿しくな って、親愛の情までわき、主人公はクスッと笑う。 刺客がクスッと笑うなん て書いた人は、かつてないし、今もない。 子供心にも、不思議だと思った。  司馬さんの小説は、エロティックが乾いている、そこが柴田錬三郎と決定的に 違う。 『上方(ぜいろく)武士道』『風神の門』など、厚い司馬さんの本を読 み、面白いものを書く人がいる、と思った。 しかし、やがて司馬さんがつま らなくなった。 司馬さんが変って行ったのだろう。

 自分に『凍(とう)』というノン・フィクションがある。 山野井泰夫・妙子 夫妻がヒマラヤのギャチュンカンに登り、夫は単独登頂に成功するが、8千メ ートルを下降する間、夫妻は嵐や雪崩やブランコのような宙吊りなど、6日間 の過酷な状況に遭う。 凍傷で夫は両手指5本、右足指5本、妻は両手指全て を失ったものの、奇跡の生還を果たす。 この『凍』を読んだ、ある女性のブログの感想が面白いと友人が教えてくれた。 彼女はハラハラと読んで、「どう してポチが助けに来ないのか」と思ったという。 ポチは山野井夫妻がキャラ バン中に拾った迷い犬で、餌などやって可愛がるとベースキャンプまで付いて 来ていたが、ある日、突然いなくなった。 彼女は小説だと思って読んでいて、 ポチを拾った話を、伏線だと思ったのだ。

 沢木さんは、司馬さんがそうした伏線を張るフィクションの手つきや世界が、 嫌になったか、厭きたんだろうと言う。 司馬さんは、ポチがポチとして消え て行っていい世界、フィクションに近いノン・フィクションに行ったのであろ う。 ポチが助けに来なければならないと思うほうの子供には、それがつまら なくて、外国の小説を読むようになっていった。(つづく)