啓翁桜と『太鼓たたいて笛ふいて』2014/02/15 06:29

 けいおうざくら、名前がいいではないか。 「山形から一足早い春を運ぶ」 というのも、いい。 全農山形のサイトによると、昭和40年代に全国にさき がけて促成栽培が始まり、ハウスの中で温度調節をしながら真冬の開花にもっ ていくという。 昭和5年、久留米市山本の吉永啓太郎さんが中国系のミザク ラを台木にし、ヒガンザクラの枝変わりとして誕生させた。 名前の由来は、 その啓太郎の一字をとって、同じ久留米の弥永太郎さんが名づけたそうだ。

 わが家の玄関で写真のように咲いていたら、たまたま大竹しのぶさんの「ま あいいか」(2月7日・朝日新聞夕刊金曜連載)が、啓翁桜の話だった。 公演 中の『太鼓たたいて笛ふいて』で、こまつ座30周年記念のプレゼントとして、 山形県の協力で配られたという。 井上ひさしさんは、山形県南部の川西町(当 時は小松町)生れだ。 この芝居、私は2004年4月に同じ大竹しのぶ主演で 観た。 『放浪記』より後、林芙美子は南京一番乗りや漢口一番乗りを果した 「太鼓たたいて笛ふいて」の女性従軍作家の時代があり、戦後はそれを痛烈に 反省して、戦争のもたらした悲しみや苦しみをその作品に描くようになる。 井 上さんは、この反省を含めた二つの時代の移り変り、そして市井の人びとの無 邪気さと屈託のなさが作り出す愉快で深刻な悲喜劇を、この芝居に描いたのだ った。

 こまつ座編『井上ひさし「せりふ」集』(新潮社)にも収録されている『太鼓 たたいて笛ふいて』の「せりふ」を二つ引いておく。

 「歴史の本はわたしたちのことをすぐにも忘れてしまう、だからわたしたち がどんな思いで生きてきたか、どこでまちがって、どこでそのまちがいから出 直したか、いまのうちに書いておかなくてはね。」

 「わたしもなにかにすがろうとしているときは地獄にいました。でも、ある とき、いつもなにかにすがろうとするから、しあわせじゃないんだって気がつ いたんです。それでこう決めました。ひとにすがるんじゃなくて、ひとにすが られるようにならなくちゃって。」