「花暦」「季節を運ぶ物売り」2014/02/25 06:32

 木村吉隆さんの『江戸暦 江戸暮らし』、「江戸暦」の欄外に「花暦」「季節を 運ぶ物売り」というのがあって、これも興味深い。  皐月(さつき)・五月の「花暦」、「卯の花」に「夏至のころより、目黒、奥沢 九品仏、巣鴨庚申塚より王子へ出る道など」とある。 「奥沢九品仏」、現在、 私の「食う寝るところ住むところ」だ、「卯の花」の名所だったとは、ぜんぜん 知らなかった。 

 「季節を運ぶ物売り」。 睦月(一月)…昨日、正月二日の夜に見るのが【初 夢】と書いたが、その二日の正午過ぎから夜まで、「お宝お宝ぇ~、宝船宝船」 と来るのが「宝船売り」、枕の下に敷いてよい夢を見ようとしたのだろう。 「餅 網やぁ~、餅網」の「餅網売り」が、小正月の十五日すぎより、というのは、 よく分からない。 「お払い扇箱はござい」と、お年玉の扇や扇箱を買い取っ てリサイクルする「払扇箱買い」は二十日より。

 卯月(四月)…三月下旬から四月上旬、届いたばかりの新鮮な鰹を売り歩く 「初鰹売り」。 「朝顔の苗や、夕顔のーない、とうきびの苗やぁ、へちまの苗、 茄子の苗や唐辛子の苗、お白いの苗や胡瓜の苗、瓢箪の苗や冬瓜の苗」、「苗売 り」の声だが、「ない」で私なぞは志ん生の顔が浮かぶ。 「うめぼしやぁ~、 あおうめ」、四月上旬から梅漬けにする青梅を売り歩く「梅の実売り」。 四月 末からは端午の節句の飾り物・菖蒲太刀を初節句の贈り物として「菖蒲太刀売 り」が売り歩いた。 木太刀の上に金銀紙、漆、絵具で彩色したもの。 「か やぁ、かやぁ、萌黄の蚊帳ぁ~~~」、この売り声を長く一唱する間に、半町を ゆるゆると歩く「蚊帳売り」、四月末から七月まで来た、という。

 霜月(十一月)、88頁の江戸風俗人形の写真に「へのこ売り」というのがあ る。 印半纏の男が、おかめの面をのせた太い物をかついでいる。 まったく 分らないので、木村吉隆さんに直にお尋ねした。 お酉さまで、熊手と同じよ うに売っていたものだが、明治政府が卑猥だというので禁止して、おかめの面 だけになったという。 ほら、ご神体でもあるでしょう、とのことだった。 「へ のこ」は、いま問題の沖縄の辺野古ではない、『広辞苑』には「へのこ【陰核】 (1)陰嚢中の核。睾丸。〈倭名類聚鈔(3)〉(2)陰茎。」とある。

乙川優三郎著『脊梁山脈』<等々力短信 第1056号 2014.2.25.>2014/02/25 06:34

 暮に、前から読みたかった乙川優三郎さんの『脊梁山脈』(新潮社)が大佛次 郎賞を得たと聞いて、近くの本屋を回ったが品切れだった。 あるネット本屋 に注文したが、こちらでもゴタゴタし、結局は1月20日の五刷が出回るまで、 入手できなかった。 待たされて読み始めると、期待にたがわず、吸い込まれ るように、昭和21(1946)年の復員列車の中で、矢田部信幸が小椋(おぐら) 康造に助けられているのを見た。

 23歳の矢田部は福島の浜通りへの途中、小椋は豊橋で降り、山の奥で細々と だが生きてゆける人間がどうして外地で知りもしない人たちと殺し合わなけれ ばならなかったのか、山に籠って暮すと言う。 矢田部は、戦争では勝ち取れ ないもの、日本人が日本人として誇れるもの、平穏から平穏を生み出し人に喜 ばれるもの、誰もが美しいと思うもの、そういうものに関わってゆきたい、と 考える。 小椋の消息を尋ねるうちに、木地師だとわかる。 轆轤を回して、 木で椀や盆、木形子(こけし)を作る古代からの職人で、脊梁山脈を旅する漂 泊の民の一族だった。 矢田部は、木地師が山に休らうように、国や時代に翻 弄される人間にも還るところがある、失ったものが惜しいなら、青春も含めて 再生しなければならないと思う。 御徒町のガード下で居酒屋をやりながら画 家を志す活発な堀佳江、木地師の娘で温泉場の芸者になる三味線の名手小倉多 希子、それぞれに失ったものを取り戻そうとする女性のどちらを選ぶのか、恋 もある。

 叔父の莫大な遺産を継いだ矢田部は、木地師の歴史の探求に没頭し、法隆寺 に残る百万塔をつくった近江轆轤工が、朝鮮半島から渡来し帰化した秦一族で あることをつきとめる。 木地師には、その業祖が九世紀に実在した惟喬(こ れたか)親王だという伝説があり、その高貴の誇りが一族の結束を深めている。  矢田部は、天皇家と渡来系氏族に関する伝承から、古代史の謎に斬り込み、権 力者が自分の都合で史実をゆがめたと疑う。 そのあたりの記述は少し煩瑣で、 小説はもたもたした感じになるが、乙川優三郎さんの情熱は伝わって来る。 平 安初期の氏族に限れば、その三割近くは帰化系という数字もあるそうで、それ がどこまで膨らんだか、日本と朝鮮は日鮮同祖、千年前からの同胞、どちらが どちらに同化したかわからないことになりはしまいか、という。 日韓の対立 で「嫌韓」などという人々には、ぜひ『脊梁山脈』を読んでもらいたい。

私は、朝鮮の独立と近代化に尽力しながら、現在、韓国や北朝鮮で伊藤博文 に次いで嫌われていると聞く福沢諭吉の無念を思った。 矢田部のように財産 はないけれど、ささやかな年金と暇はある。 アジア諸国の独立と近代化に少 なからぬ影響を与えながら、アジア侵略論の創始者と誤解されている福沢の名 誉回復に努めたい。