茗荷谷の猫のいる家2014/12/07 07:27

 「三・茗荷谷の猫(茗荷谷町)」。 その猫は茗荷谷にある文枝の一軒家の、 庭の物置の床下で三匹の子猫を産んだ。 文枝は絵を描き、堅物過ぎると両親 からも案じられるほどの夫は、役場に勤めていた。 夫の勧めで開いた展覧会 を見た画商と画家の仲立をして周旋する緒方が、ひと月に一度ほどの割合で、 顔を出すようになった。 そうなると夫は、心穏やかでないようだった。

 最近になって猫の巣のずっと奥から、ぐるるると猫のものとは思われない、 不気味な鳴き声が聞こえている。 ある日、思いがけない高値で絵が売れて、 お祝いに本郷まで牛肉を買いに行った文枝は、白山の長久亭という寄席の前を 通って、夫によく似た男が半纏に股引姿で呼び込みをしているのを見た。 夫 は役場にいるはずの時間だった。

 その晩遅く、急に残業になったと、大儀そうな夫が帰った。 絵が高く売れ たお祝いの牛鍋だと言うと、「いいよなぁ。俺の月給分くらい絵一枚で稼げちま うんだから」。

 珍しく、朝、出社する夫を市街電車の駅まで見送った。 あとで、その電車 が三つ先の駅で、自動車と衝突して脱線し、多くの怪我人が出る事故を起こし たと知った。 文枝は夫の姿を探し続け、病院もすべて回り、遺体の収容先に も行った。 その日、夫は帰って来なかった、次の日も、また次の日も…。 

 大正も十年を過ぎて、絵画のありようも変わってきて、中には呉服店と組ん で和装の婦人を描くような、絵で流行や文化を作ろうという風潮が出てきた、 と緒方は言う。 文枝は、ただ、私の絵を描いていきたいのです、それだけの ことがどうしても言えなかった。

 緒方は説く。 観る人は、作家の像と作品を結びつけると、共感しやすい。  人は、物語を好むから、絵の生れる根源を知らせることで、作品に窓口を作る ことも必要だ。 文枝には、背景がある、ご主人を亡くされて……。  市電の事故のあとは、もう長久亭には行かなかった。 なにかを、求めてし まいそうで恐かったからだ。 文枝は薄紙に包んで懐の奥深くに押し込んでい たものまで、すべて焼き尽くすような気迫で、絵に向かっていった。

 庭のほうでポトリとなにか落ちる音がした。 夫にせがんで植えてもらった 柘榴の実だった。 それを見て一息に、絵を描きたい、と思った日の感触を思 い出した。 柘榴の粒のルビィ色、この色の不思議を、絵筆を使って解き明か したいとそのとき切に思ったのだ。 その絵の透き通った赤を、夫は褒め、お まえには才があるんだな、おまえにしかできないことが、あるんだな、と言っ た。 そこには、そこだけには、今も昔も一毫の嘘もなかった。 彼女はひと り、小さく笑った。 その笑いは彼女にとって、数年ぶりとなる心からの笑い だった。 柘榴を取り上げると、皮の縁で指の腹がすうっと切れた。 薄く血 が滲んだ。 自分はまだ、生きているのだ、と知った。

 「六・庄助さん(浅草)」。 日中戦争の好景気で六区は賑わい、いつも人で ごった返していた。 映画好きが高じて映画館の下働きをするようになった青 年「庄助さん」が、支配人に訊く、「おっさんは昔、活動写真のもっと源の噺や 小唄のようなものをしとらんかったかの」。 支配人は、言葉をなくした。 「… …どこでそれを知った? 浪曲のことを……」。 「僕はな、ここで活動写真を 観るたびに、ようある『泣き』とは違う『憐れ』を学んだ気がしたんじゃ。勉 強になりました」。  青年は将来、活動写真の監督になるのだという。

妻になぜ、役所を辞めたと言えなかったのか。 浪曲の道に進みたいと言えなかったのか。 おまえが絵に出会ったように、俺も見つけたんだよ、と。 一緒に好きな道をまっとうしようと言えば、彼女は反対しなかったはずだ。 なのに、市街電車の事故をきっかけにそのまま失踪し、それきり妻とは会わなかった。 程なくして起こった震災で、妻が家の下敷きになって死んだことを人づてに聞いた。 浪曲に見切りをつけたのは、そのすぐあとのことだ。