小さな「ひと」を見つめ、見つめられて2014/12/23 06:39

 内藤礼「信の感情」展だが、二つに分かれている。 一つは旧朝香宮邸の館 内のいろいろな場所、主として鏡の前に、ごく小さな木彫の「ひと」が点在し ているもの。 もう一つは、新館展示室に一見ただの真っ白いキャンバスが並 んでいる作品だ。 内藤礼さんを知らなかったが、1961年生まれの現代美術作 家で、1997年ヴェネツィア・ビエンナーレ日本館で《地上にひとつの場所を》 を発表して注目を集めた人で、「地上に存在していることは、それ自体、祝福で あるのか」をテーマに探究を続けているという。 恒久設置作品に《このこと を》(直島・家プロジェクト きんざ、2001年)、《母型》(豊島美術館、2010 年)がある。

 現代美術は、難解で、だいたいお手上げである。 ほとんど白木に見える、 アクリル絵の具で彩色された木彫の小さな「ひと」には、目が描かれていて、 鏡を通して、それを見ている観客を、天井の高い本館建物の内部を、見ていた りする。 内藤礼さんは、八巻香澄学芸員の質問に答えて、「信の感情」の「信 じる」について、「私の「見る」働きかけと、対象からの「見る」働きかけが同 時にあり、互いに「見られている」と感じたとき、自他の区別がなくなり、強 い肯定感に包まれたことがあります。対面している世界と私は、互いに、同じ ように、愛の働きかけをしようと待っていたのだと感じたのです。湧き出るよ うに、目の前に現れようとしているひそやかで不確かなものは、もしかすると いま私に向けられたのではないか、私はそれを受けとったのではないかと感じ たとき、それ以外にも、何か欲しいと思うでしょうか。やって来るのはいつも むこうからです。私はいつも受ける側で、私にできるのは、受けとっています、 とお礼を伝えることくらいです。だから何度でも、私は見ています、こうして 受けとっていますと伝えます。光も色彩も形も眼差しも、花々も木の輝きも鳥 の声も、そしてこの感情も、命も、どこからかやって来る。「信の感情」は、美 術館で一人で過ごしていたとき、ふと浮かんだ言葉です。」と、語っている。

 私は俳句での、俳人と季題の関係を連想した。 そういえば夏目漱石に、 <菫(すみれ)程小さき人に生れたし>という句がある。 自然教育園に隣接 する東京都庭園美術館は、庭園を冠している通り、改修された美しい建物から 眺める、あるいは建物を見つめる、庭園の自然に包まれることによって成り立 っている。

 内藤礼さんの2011年の詩。 「そのひとはしんじるひと/ひとにむき ひ ととおもう/ひとにむき きぼうとおもう/きぼうにむき ひととおもう/き ぼうにむき きぼうとおもう」

新館展示室のペインティング、真っ白いキャンバスが並んでいるだけの作品 は、さらに難解だ。 上下左右、特に上下の端に、やや色がついているのを感 じる。 キャンバスによって、その濃さが違うようにも見える。 眺めている うちに、色が浮かんで来るというのだが、わからない。 「信」じない者には、 見えないのか。 般若心経の一節が浮かんだ。 「色即是空 空即是色」。