権太楼「錦の袈裟」本篇2014/12/01 06:35

 隣町の野郎が吉原で、緋縮緬の長襦袢の揃いでかっぽれの総踊りをして、隣 町にはこの真似は出来まいと言ったという。 こちらも、何か趣向をこらして、 ワッと騒ごう。 行こう、行こう、地所を売ってでも。 地所なんて、あるの か。 二階の物干に。 それ箱庭じゃないのか。 ウコンのふんどしの揃いは、 どうだろう、腹下ししてもわからない。 質屋の伊勢六の番頭が、錦のキレが あるという。 錦のふんどしの揃いで行って、相撲甚句かなんかでワッと踊ろ う。 いつ行くよ。 今。 錦のキレは十枚、一人分足りない、与太郎の分が ない。 自分で何とかさせよう。

 与太郎、吉原へ行くか。 お女郎買いか、おかみさんに聞いてみないと、わ からない。 うちのかみさんは、強いんだぞ。 前にお女郎買いに行ったら、 あわびっ貝で、おまんま食って、縁の下に入れって。 猫の真似か。 二時間 正座させられた。

 ごめん下さい。 はーーい、何だお前さんか。 あのね、みんなで、ウニャ ウニャ買いに行ってもいいかなあ。 はっきり、お言い。 お女郎買い。 誰 が行くの。 吉さん、六さん、竹さんや、みんな。 一度きりだよ、行っとい で。 なに、錦のキレがお前だけないの。 お寺へ行って、和尚さんの袈裟借 りといで、返す時、皺伸ばせばわからないから。 親戚の子供に狐が憑いて、 加持祈祷をしても落ちない、偉い和尚さんの袈裟をかければ、落ちると言われ たんで、と。

 与太郎さんかい。 親戚の狐に子供が憑いて、火事やボヤでも落ちない、偉 い和尚さんの袈裟を借りに来た。 珍念、袈裟箱を。 キッタナイですね。 十 四代続いた、経文の浸みこんだ袈裟だ。 ピッカピカの、これがいい。 それ はいかんぞ、明日贈ってくれた檀家の法事がある。 朝一番に持って来るんで、 これを貸して下さい。 輪っかがありますね。 袈裟輪だ。

 与太郎は、用意出来ないんだろう。 来たぞ、ガニマタで。 パッと、めく ってみろ。 ワッ、こいつのは、物がいい。 出かけようぜ。

 みんなで、素っ裸になって、踊る。 面白いわね、お姐さん。 どういうご 身分の方かわかる? 華族様、昔のお大名よ。 前に輪をぶら下げたのが、お 殿様。 ぼぉーーっとしているけど。 そこが高貴な方なのよ。 お小用(こ よう)する時も、あれを通してなさる。 房で、おつゆを払う。 敵娼(あい かた)は? 紫さん、いいわねえ。 あとはご家来、ほっといていいのね。 扱 いがぞんざい。 足軽に見られた竹なんか、可哀想で、お尻をさわろうとした ら、門番のくせに、何すんの。

翌朝、一人足りない、与太郎だ。 お殿様でございますか、御前様は御寝(ぎ ょし)なっておられます。 次の間付きで、屏風をどけると、溶けちゃっている よ。 女が、離そうとしない。 うるさいね、お殿様のお耳ざわりだろうが、 下がりおろう、頭が高い! ご家来衆のくせして、この輪なし野郎。 主(ぬし) は、今朝は帰しません。 アッ、袈裟返さないと、お寺をしくじっちゃう。

菊之丞の「お見立て」2014/12/02 06:52

 お酉様が終って、冬本番、と始めた。 今年は二の酉まで、いつも浅草の鷲 神社に行き、熊手を買って帰る。 熊手は七億円しませんよ、渡辺喜美はいな かった。 お参りしようと、列に並んでいると、四十半ばの女性がケータイで がんがん怒鳴っている。 今、どこにいるの、どっかにひっかかって飲んでん でしょ、早く来なさいよ、師匠。 師匠? と、見ていると。 来ましたよ、ヨ ネスケ師匠。

 吉原、今は千束三丁目なんて、色っぽくない名前になっているけれど。 昭 和33年4月1日になくなった、親の命日は忘れても、その日は忘れない、先 輩方は、まだそれがある頃に行っていて、お前達は可哀想だ、と言う。

 こんな台風、大嵐の日に行けば、こてこてにいい目に合うんじゃないか、と 行ってみると…。 ズラーーッと並んでいる。 みんな考えることは同じだ。  大門そばの寿司屋、渥美清が居候していたとかいう店に、若き日の志ん朝師匠 のパネルがある。 師匠なんかは、行ってるんですよ。 イザッていう時に、 「怖い」って言うと、可愛がってくれる。 それを聞いた先代の円楽が、「怖い」 って言ったら、「あんたの方が怖いわよ」。 手練手管が、渦巻いている。

 男に、うぬぼれのないものはない。 喜助、コケコイ! これは、これは杢 兵衛大尽。 喜瀬川のアマッコを、呼んでもらうべえ。 立て込んでいまして ね。 喜瀬川さん、回ってもらわないと困ります。 田印、嫌だね。 お金が 出来たからって、言ってますが。 いいのよ、患(わずら)っちゃったことに して。 何の病気で。 見繕って。 杢兵衛大尽のお出でがないので、恋患い ということに。

 見舞ってやるべえ、案内ぶて。 けっこうよ、病院に入っていることにして。  病院はどこか、聞いて来い。 死んじゃったことにして。 先月の28日、ち ょうど非番でしたので、病院へ行くと、鍋焼きうどんが食べたいと申しまして、 食べながら鍋焼きうどんは杢兵衛大尽が大好きだったと、涙をポロポロこぼし たのが、今生の別れとなりました。 ホーホー。 鳩かな。 鳩でねえ、おら が泣いたんだ。 墓参りすべえ、寺はどこだ。 山谷で。 馬鹿ねえ、もっと 遠くだと言えばいいのに、行っといで、墓参り。

 少ないが、香典代わりに取っときな。 この寺です。 立派な墓ばかりだ、 洒落のきかない寺だな。 たくさんの花で墓を隠し、線香をぼーぼーと焚く。  この墓で。 「アンモウコウタク信士」、男の墓でねえか。 こちらでした。 喜 瀬川、堪忍しておくれ。 「シネン童女 享年三歳」、子供の墓だぞ。 こちら で。 「故陸軍歩兵上等兵」ではないか。 こんだけございます、よろしいの をお見立てを。

小満んの「お神酒徳利」前半2014/12/03 06:38

 小満ん、「お神酒徳利」には、三島で落ちになるのと、大坂まで行くのと二つ あり、長いのをやれと言われたので、長丁場をよろしく、と。 日本橋馬喰町 の刈豆屋吉左衛門という大きな旅籠、先祖が拝領した三つ葉葵紋の銀のお神酒 徳利を家宝にしていた。 大掃除で、ノドが渇いた二番番頭の善六、台所の水 瓶の蓋の上にお神酒徳利があるのを見つけた。 表を通る者に、ひょいと持っ て行かれかねない場所なので、水瓶(みずがめ)の底に沈めた。 善六は、そ そっかしくて、忘れっぽい。 掃除が終わって、徳利を飾ろうという時になっ たら、見当たらない。 旦那は真っ青になって、いつもの酒やご馳走はなし、 今夜はこれで終わりとなった。

 家に帰った善六、水瓶の底に沈めたのを思い出した。 おかみさんは、すぐ に行って、謝って出してあげなさい、というけれど、今さら自分がやったとは 言えない、と善六。 おかみさんは、お父っつあんが占い師だったから、その 巻物が出て来て、生涯に三度、易を立てて当てられる、ソロバン占いが出来る と言えばいい、と教える。

 旅籠に戻った善六、さっそくソロバン占いをやり、丑寅の方角で、台所、土 地と水に縁がある所で、水瓶ですな。 アッ、旦那、ありました。 大急ぎで、 祝いのし直しだ、仕出し屋に言え、柳橋から芸者を呼ぼう、善六、お前が上座 だ、となる。

 これが12月13日のことで、二階に一人だけお客さんが泊っていた、大坂の 鴻池の支配人。 二階でお手が鳴って、実は鴻池の18になる一人娘が三年越 しの長患い、いろいろな医者に診せても、加持祈祷をしても、効き目がない。 生涯に三度当てられると聞いたが、大坂まで一緒に行って、二度残る占いでぜ ひ原因を当ててもらいたい、頼む、この通りだ。 お手をお上げ下さい、家内 と相談をして参ります。 おかみさんは、眉間にコッキという死相が出ていた ら、神様の祟り、どんなお医者様でも手に負えない、とでも言えばいい、お礼 ぐらいは貰えるだろうと、送り出す。

 12月15日、善六さんは、鴻池の支配人と一緒に、江戸を立つ。

小満んの「お神酒徳利」後半2014/12/04 06:37

 神奈川宿で、鴻池の支配人の定宿、滝の橋の新羽屋(にっぱや)源兵衛へ行 くと、大戸が下りている。 お内儀の話では、四、五日前に、島津様がお泊り になったが、金子七十五両と将軍様への密書の入った巾着が紛失し、内部の者 に嫌疑がかけられ、主人も取調を受けているという。 密書が洩れれば、島津 様のお命にもかかわる。 それならお内儀、安堵なされ、ここに居る善六先生 は占いの名人だ。 先生、どうでしょう。 行をしてから、占いにかかるので、 静かな所を。 離れがある、下が納戸で、上が八畳。 お盛物を、塩の結び、 梅干を入れて三つ四つ、竹皮に包んで、背負えるようにして、草鞋を三足、梯 子も要る。 少し、時間がかかる、八ツまで待つように。 あそこに道が見え るが、江戸はどっちだ? 提灯も要るな。

 ごめんくだせえまし。 と、女中がやって来て、青木村の百姓の娘だが、父 の病気を治したいばっかりに巾着を盗んだのは自分だと白状、去年8月25日 の嵐で壊れた庭の稲荷のお宮の床下に隠したと言う。 お梅、18を、正直に免 じて許すと、帰した。 早速お内儀を呼び、ソロバン占いで卦が出たと、在り 処を教えると、巾着が現れ、宿中大喜び、道中の鼻紙代にと三十両くれた。 そ んなに洟をかんだら、鼻がなくなる、五両をお父っつあんの薬代にと、お梅に 渡した。 お内儀には、稲荷のお宮を直すように諭して、大坂へ発つ。

 三度目の占いとなる大坂では、苦しい時の神頼みと、七日七晩、水垢離をと った。 すると満願の日、風の音に目を覚ますと、一百歳の翁が座っている。  我こそは神奈川滝の橋、新羽屋稲荷大明神であるぞ。 女中の罪をお稲荷様に なすりつけた為かと畏れ入る、と。 さにあらず、霊験あらたか、宮の造営と 信心が戻った、何かの礼をと、稲荷、仏心の力をもって、難波堀江に降り立っ たぞ。 昔、仏法に篤かった聖徳太子の時代、仏敵・物部尾輿(もりやのおと ど)が、多くの仏像、金像を地中に埋めた。 目を吊り上げて、よっく承れ、 鴻池家の辰巳の方角、33本目の柱の下じゃ、観音像が埋もれている、それを掘 り出して、崇めよ。 娘の病気は、たちどころに快復するであろう、善哉、善 哉。

 掘ってみると、一尺二寸の観音像が出て来た。 鴻池は、これを機に米蔵を 開いて、大坂三郷の貧民に施しをし、慈善の徳で娘の病気は全快した。

 善六は、鴻池からもらった大枚金二百両、白絹十疋を、駕籠に積み、大名旅 で江戸に帰った。 お前さん、みんな新羽屋稲荷大明神のおかげだね。 いや、 もとはといえば、かかあ大明神のおかげだ。

木内昇さんの「染井吉野を創った男」2014/12/05 06:44

 2011年『漂砂のうたう』で直木賞を受賞、今年『櫛挽道守』を出した木内昇 (のぼり)さんの本は、一度読んでみたいと思っていた。 刊行時に評判の高 かった『茗荷谷の猫』(平凡社・2008年)を読んだ。 巣鴨染井、品川、茗荷 谷町といった東京の地名がついた、江戸から昭和へと時代も違う九篇の短篇小 説で構成されているが、それぞれ違った物語でありながら、微妙でミステリア スなつながりのあることが、全部読むと判ってくる。

 冒頭の「一・染井の桜(巣鴨染井)」。 徳造は、祖父が商売で大儲けした金 を元手に御家人株を買い取った武家の身分を捨てて、町人になった。 道楽で 始めた草木の世話の奥深さや面白さに取り憑かれて、植木屋(にわかた)に弟 子入りし、ついに染井に自分の店を持った。 妻のお慶は、武士の家の出だっ たが、なにひとつ異を唱えず、巣鴨の裏店(うらだな)で、一日中内職の針仕 事をして、暮らしを補った。 徳造は、桜の掛け合わせに熱中し、五年かけて 変わり咲きの桜を「めっけた」。 江戸彼岸と大島桜を掛け合わせ、葉が出るよ り先に、淡雪に似た花が枝をほぐすようにして咲き乱れる桜は、吉野桜と呼ば れ、すぐに評判になった。 「移ろうから、儚(はかな)いから、美しい」 一 斉に咲いて見事に散る様も際だっているその桜を、江戸の人々は自らの生き方 になぞらえて愛でた。 ひとひらひとひらが、風に舞って吹雪に似た風情を作 ることも、人々を魅了してやまなかった。 桜を造った徳造の名は広く知れ渡 り、巨万の富がもたらされたかといえば、そうではなかった。 徳造は、自分 の編み出した桜の苗を、誰にでもほんのわずかな値で分けてしまったからだっ た。 新種の桜にその名を冠することもなければ、己の仕事だと吹聴すること もなかった。 訊かれれば、苦心して編み出した掛け合わせの方法まで、あっ さり教えてしまった。 植木屋仲間は、金を取る気がないなら、せめて銘打つ なりしたらどうだ、やり方を教えずに苗だけ売ればいい、と談じに来た。 徳 造は、染井でできた桜だから、染井吉野ってのはどうだろうね、というだけで、 桜が広まればいい、名を残すことに興味はない、と答えた。

 その秋口、お慶が流行病の麻疹で死んだ。 徳造は何も変わらなかったが、 お慶がいつも座っていた場所の、針箱や座布団などは、最後に使ったときのま ま、まるでお慶がいるかのようにしていて、手を触れさせなかった。

 「二・黒焼道話(品川)」。 小日向春造(しゅんぞう)は、御一新から二十 年後、下谷万年町の黒焼屋に勤めで修業する一方、秘かに万人の心を穏やかに する黒焼の開発を研究する。 本郷辺の「偏奇館」なる古本屋で見つけた『黒 焼赤蛙漫稿』に「鶏冠の黒焼――気が鬱するとき、心を開かせ、穏やかにさせ る働きがある」「これは服用せず、頭上より振りかけることにて、満願成就とな る」とあった。 一年半いた店を辞め、黒焼の開発に精を出して、煙と臭いで 下谷万年町の下宿を追い出され、人の少ない寒村、南品川のはずれに越した。 

春、品川の町で、下谷の店で師匠と呼んでいた道太郎が赤蛙を売りに来たの に会う。 薄桃色に空を彩っている桜の木を見て、道太郎は言う。 「私はこ の桜を長いこと、吉野桜と呼んでたんだがね、本当は染井吉野という名らしい よ。最近、正式な学名がつけられたんだとさ。奈良の吉野桜と一緒くたになっ て紛らわしいからってね。」「染井に店を開いていた植木屋が、はじめに売り出 したかららしい。ところがその話には裏があってさ、この桜を、御一新前にそ この植木職人が造ったって噂がある。」

「だいたいこの桜は、東京でしたらどこへ行ってもあるでしょう。この桜が なければ春は語れないくらいのものじゃありませんか。それほどのものを人が 作れるわけはないでしょう」と、春造。 「誰かが作ったとしたらすごいこと だと思ってね。私は毎年、この桜を見ると明るい気持ちになるんだよ。心を救 われているんだね」

「七・ぽけっとの、深く(池袋)」。 空襲で父母と妹をなくした戦災孤児の 尾道俊男は、池袋で靴磨きをしていた。 巣鴨の家の焼跡を掘り起こしている と、壺が出て来た。 その壺から黄ばんで風化した紙片が現われ、聞いたこと もない男の名前と、「右は、染井吉野を作りし者 妻、慶記す」と読み取れた。  仲間の健坊に見せると、「きっとこの人は御主人さんの手柄を残したかったんや な。意味はわからんでも、書いた人がその一心やったのはわかる。文は思いや からな」と言った。