戦後、二組の若夫婦の家 ― 2014/12/10 06:38
「八・てのひら(池之端)」。 佳代子は、初めて東京の家に母を迎えた。 世 話になっている弟夫婦に気兼ねして、なかなか重い腰を上げようとしなかった からだ。 こんなあばら家で、と夫が恐縮すると、母は「東京で家を構えられ るなんて立派ですよ。佳代ちゃんは果報者だ、感謝しないといけないよ」 「で もほんとはね、もっといい家があったのよ。茗荷谷でね、庭があって、柘榴が 植わってて。私はそこに移りたかったんだけど、この人が……」 「いや、だ って、あそこはなんだかげんが悪いようだったろう」 「なんでも、その家に 前に住んでいた男がご近所の若奥さんと駆け落ちしたらしいんですよ。それで 僕はどうも気乗りしませんでね」 「その出奔した若奥さんの旦那さんが、ま だご近所にいるっていうから、やはり気まずいじゃないかと思いまして」 「あ ら。でもその方だってすぐに若くてきれいな後妻さんをおもらいになったんで しょ。そんなに気にすることもなかったんじゃないかしら」 「東京らしい出 来事だねぇ」
「九・スペインタイルの家(千駄ヶ谷)」。 渋谷金王町のアパートに住む尾 道俊男は、常盤松小学校の角を曲がって大通りに出、建設中のオリンピック競 技場へ行くトラックに急き立てられるように、千駄ヶ谷への道へ折れて、勤め 先に向かう。 途中で左手の小径に入るのは、気に入って家があるからだ。 三 十坪ほどの平屋はいっとき流行った文化住宅の様式に似ていたが、南側一面に 張り出した広い木製デッキと外国製のタイルをあしらった玄関周りの意匠は珍 しく、彼の興味を引いた。 開いた窓からちらりと見える、つややかな杉板の 内壁も美しかった。 庭の花壇には、見たこともない西洋花が植えられていた。 俊男はほとんど毎日、出勤途中にわざわざ遠回りをしてこの家の前を通った。 目に収めるだけで、その日一日がどことなく穏やかに転じるように思っていた。 俊男が電気の配線を担当している現場で、スケッチしてあった例の家のタイル の絵柄を、タイル屋に見せたら、おそらく欧州の、そうさなスペインかどこか のものだろう、と言った。
アパートでは、妻の祐子がカツレツを作って待っていた。 お給料日のお祝 い、と弾んだ声が聞こえた。 こうして月に一度だけ夕食を奮発するのが、渋 谷に住んでからの習いであり、慰めだった。 昨夜、彼が渡した給料袋はまだ 神棚に上がっている。
中学も出ないうちに戦災で孤児になり、突然、世間に放り出された。 身寄 りも金もない中で物乞いや靴磨きで食いつなぎ、そのあともただ生きていくた めにだけ這うようにして働いてきた。 立ち止まる間もなく、遮二無二日々を 送ってきた。 もちろんそこに後悔はないのだけれど。 あの家には、自分の 選びそびれた人生がこっそり眠っているように俊男は感じた。
最近のコメント