「江戸の読書会」の積極的役割2014/12/17 06:41

 6日は、福澤諭吉協会の土曜セミナーが交詢社であり、前田勉愛知教育大学 教授の「江戸の読書会の思想的な可能性―昌平坂学問所と福沢諭吉―」を聴い てきた。 前田勉教授、日本思想史(特に江戸後期)のご専攻で、角川賞受賞 の『江戸後期の思想空間』(ぺりかん社・2009年)、『江戸の読書会』(平凡社選 書・2012年)、『岩波講座 日本歴史』第12巻「儒学・国学・洋学」(岩波書店・ 2014年11月)などがある。

 まず演題の説明として、「儒学=保守派、洋学=開明派」という図式にゆさ ぶりをかける試みだとする。 源了圓の『横井小楠研究』に「体験としての公 論意識」、「自分の意見・見解と異にする「他者」との討論・対話を通じてはじ めて「公論」は形成される」とある。 横井小楠の「公共」の思想には、その 端緒としての熊本実学党の『近思録』(朱熹・呂祖謙共編の朱子学入門書)の読 書会があった。 そこでは朋友の交わりと、徹底討論がみられる。 読書方法・ 学習法に焦点を当てると、(各地の藩校や私塾に)小楠の読書会以上の広がりと 可能性が見られ、儒学の積極的役割の評価につながる。 「昌平坂学問所と福 沢諭吉」との媒介は白石照山で、思想的な影響関係の可能性がある。

 江戸時代、儒学、広く学問が学ばれた理由は、「個人の名誉心」にあった。 学 問とは読書することであり、洋学もまた翻訳の学問であって、読書の学だった。  世襲身分制度のもとでの「知足安分」下、直接の立身出世には結びつかない。  その点が、科挙=高級官僚採用試験がある中国・朝鮮との違いで、中国・朝鮮 では立身出世のための学問=読書。 日本では、学問=読書は、家業の余暇に 行う嗜みで、家業に役立たない学問への志は、周囲の白眼視もあり、強い個人 の意志がなければできないことだった。 上の「個人の名誉心」とは、凡庸な 生を拒否し、生きた痕跡を残そうという意志。 「草木と共に朽ちたくない」 という学者の常套句がある。(貝原益軒『大和俗訓』巻二、大槻玄沢『蘭学階梯』 巻上) 『蘭学事始』巻上にある『解体新書』の翻訳は、複数の者が討論しな がら共同翻訳する読書会である。 荻生徂徠以降、18世紀中頃から、定期的に 開催される読書会が流行した。