アンリ・ラパンとアール・デコ博覧会 ― 2014/12/25 06:37
朝香宮邸を生み出した「アーキテクツ」にも触れておく。 坂本勝比古教授 がラリックと共にその名を挙げたラパンは、アンリ・ラパン(1873-1939)、パ リ生まれの画家、室内装飾家、デザイナー。 建築、室内装飾、家具、壁画、 ステンドグラス、陶磁器など幅広い分野で、贅沢な素材と細やかな技巧、豊か な色彩を特徴とするラパンのスタイルが注目され、アール・デコ博覧会では、 フランス大使館や国立セーヴル製陶所など、数々のパヴィリオンの企画やデザ インを担当した。
そのアンリ・ラパン、朝香宮邸では、大広間、大客室、小客室、次室(つぎ のま)、大食堂、殿下書斎および居間の全7室の内装デザインを手がけ、調和 のとれたアール・デコの空間を創り上げている。 小客室の四方の壁面には、 ラパンの淡いグリーンを基調にした樹木と水のある風景の油絵が描かれ、森の 中にいるような雰囲気を出している。 大客室上部の木製ボードに描かれた壁 画もラパンによるもの。
次室(つぎのま)で目立つ大きな白磁の「香水塔」は、ラパンが昭和7(1932) 年にデザインし、国立セーヴル製陶所で製作された。 宮内省の図面には「噴 水器」とあり、水が流れるような仕組みが施されていて、朝香宮邸時代には上 部の照明部分に香水を入れ、照明の熱で香りを漂わせていたことから「香水塔」 と呼ばれるようになったという。 殿下書斎も、ラパンによるデザインで、シ トロニエ材の付け柱が四方に配置され、ドーム型の天井と間接照明によって、 求心的な空間が、円形に仕上げられている。 絨毯、机、椅子も、ラパンのデ ザインだ。
後に朝香宮邸の設計を担当することになった宮内省内匠寮(たくみりょう) の建築技師権藤要吉も、大正14(1924)年、官命で「貴族の住宅及び博物館 研究」のために欧米に派遣され、アール・デコ博覧会を視察しており、坂本勝 比古教授はそれが「後に両殿下との意思の疎通のうえで役立つこととなった」 という。
宮内省内匠寮は、宮内省(現在の宮内庁)内にあった皇室建築や儀式で使用 する建物を建築・制作していた組織で、総勢100名を超す人々が関わっていた という。 権藤要吉は、明治28(1895)年福岡県生れ、名古屋高等工業学校 建築科(現、名古屋工業大学)を出て、住友総本店営繕課建築係に入り、竹腰 健造(住友ビルディング、大阪証券取引所の設計者)に師事。 大正10年か ら内匠寮技手となり、上にあるように欧米に派遣され、イギリス、フランス、 ベルギーなどを回り、この間ロンドンで朝香宮夫妻と親交を深めた。 大正15 (1925)年の帰国後、昭和5年竣工の李王邸、昭和8年竣工の高松宮邸とこの 朝香宮邸を手がけ、のちに内匠寮工務部建築課長を務めた。
戯去戯来<等々力短信 第1066号 2014.12.25.> ― 2014/12/25 06:38
「ゆらチン!」というポスターに驚いた。 講演を聴きに出かけた都営三田 線の三田駅でのことだ。 思わず近寄ると、すみだ水族館で「ゆらゆらチンア ナゴまつり」が開催されるという。 水族館とチンアナゴ…そうか、海底の砂 から頭を出して、ゆらゆらと揺れる魚の映像を、テレビで見た記憶がある。 チ ンアナゴ(狆穴子)はウナギ目アナゴ科の海水魚、和名は顔つきが犬の狆に似 ていることから、英名spotted garden eelは斑点があって、砂底から頭を出す 様子が庭の草木の生え方に似るからという。 水族館では11月11日を「チン アナゴの日」と定め、館内で記念の結婚式までやった。
昔、「ゆれる」と題した短信に、今江祥智さん紹介の子供の詩「ハダカで歯を みがくと、チンチンがゆれる。」を引用して、「じつは、私も風呂で歯を磨くの で、この厳粛な現象を知っていた。ただ、漫然とゆらしているばかりで、それ を詩にするという前向きの姿勢と気配りに欠けていたのだ」と、書いていた。
赤瀬川原平さんが亡くなって、その何でも面白がる姿勢や、路上観察学会に 影響を受けたことを思い出した。 『超芸術トマソン』『路上観察学入門』では、 「トマソン」即ち「街中の建造物や道路に付着する、無用の長物でありながら 美しく保存された不可解な凹凸」の実例写真に笑った。 「純粋階段」「無用門」 「高所タイプ」「阿部定」「原爆」など11タイプがある。 私も当時、地下に 入る前の代官山で「阿部定」の原型である「一物模様」「御神体」タイプを一例 発見して、「いま、街が面白い」という短信に写真を付けて発信した。 結果、 厳格なカソリックの女性読者を一人失った。 なお、トマソンは読売巨人軍の 助っ人で、無用の長物だった選手。 私は、トマソン、ジョンソン、ガリクソ ン「お釈迦三損像」という絵葉書を描いて、心ある人に送ったことがある。
ガキの頃からの落語ファンで、昭和43(1968)年から毎月通って本日第558 回になる国立小劇場の落語研究会、一晩聴いて来て、六日も七日もブログに覚 書を記録している。 この十年ほどは、マクラから、書きづらいこともエイヤ ッと書いているので、平成の噺家はどんな噺をしていたのか、一つの記録には なるかなどと思っている。
福沢諭吉は揮毫を頼まれると、よく「戯去戯来自有真」と書いた。 戯(た わむ)れ去り戯れ来る、自ずから真あり。 この言葉が好きだ。 『福翁百話』 十に、人生は蛆虫に等しく五十年か七十年の間を戯れて過ぎ逝くまでのことだ が、人生を戯れと認めながら、その戯れを真面目に勤めると、大節に臨んで動 くことなく憂ることなく、後悔することなく悲しむことなくして安心を得るも のなり、とある。 遊びを遊びとして、真面目に行うところに、ユーモアの精 神があり、精神的な余裕が生まれる。
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