『三田評論』「追悼・小泉信三」号から ― 2015/12/15 06:30
『三田評論』1966年8・9月号「追悼・小泉信三」号も、『小泉先生追悼録』 (『新文明』臨時増刊)も、綺羅星のごとき執筆者に驚く。 『三田評論』から、 いくつか引いておく。
入江相政さん(侍従)「心の張りを失う」…「「堂々」とか「颯爽」という人 の出現を予期して用意しておいたようなもの。風貌も信条もまことにそれにぴ ったり、接するたびに、書かれたものを読むたびに、ちょうどこのごろの季節 の、青葉を吹く風のような気持がしたものだった。」
高村象平さん(前塾長)「小泉先生と学長二題」…「問題の解決策に難易の二 つがある場合、一見至難とされる途をとる方が、そのときは苦しいけれども、 あとになってよかったと思いかえすことが多いものであるとは、六年も前に私 が塾長に就任したのち、何回となく小泉先生から親しく教えていただいたこと であった。そして先生はこの実例をいくつか挙げられたのであったが、ここに いまなおあざやかに印象に残っているものを顧みたい。」
安藤鶴夫さん(演劇評論家)「小泉先生と落語」…「志ん生がたいへんなごひ いきで、志ん生が病気でたおれるなん年か前までは、毎年、もうかぞえ日とい うころに、志ん生を座敷に呼ばれては、きまって、冬の夜に、という大津絵を きかれるという話である。志ん生も、毎年、師走がちかずくと、ことしも、小 泉先生にきかせんだな、と思って、それが待ちどおしかったそうだ。/冬の夜 に風が吹く しらせの半鐘がじゃんと鳴れァ(中略(この歌は志ん生のCDな どで聴ける))/小泉先生は、志ん生がうたおうとすると、もうハンカチをお出 しになって、用意をされて、ききながら、いつも泣かれたそうだ。/このあい だ、人形町の末広の前を通りかかったら、日曜のヒル席に、志ん生の独演会が あって、番外として、小泉先生をしのんで、冬の夜の大津絵うたいます、と書 いてあった。こんどは、志ん生がうたいながら、泣く番になった。」
吉野秀雄さん(歌人)「小泉信三先生を偲ぶ」
堀江気賀いまだ衰えず高橋と並び若かりし君をしぞおもふ
「社会問題研究」を世に問ひし頃よきみ三十余歳われら二十前(はたちまへ)
教室の講義さしおき露伴作「運命」説きしきみを忘れめや
ドイツ語の疑問軽んぜず気賀さんに確かめ来むといひし君はも
経済学は遠く離れしわれながら君が論著に永く親しむ
野呂栄太郎の名も今浮ぶ温き心持てりし君を信ぜむ
義塾八十年記念講演は演壇の下に蹲(つくば)ひわれ聴き入りき
わが耳の底に残るはさびのある清き聲にて語尾ひきしまる
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