子規・漱石と寄席2016/10/31 06:20

    等々力短信 第640号 1993(平成5)年6月25日

            子規・漱石と寄席

 学生時代の正岡子規は、非常に好き嫌いのあった人で、めったに人と交際な どしなかったのだそうだが、夏目漱石とは、なぜか付き合った。 この二人の 巨人が交際したことの、文学史的な、もっといえば、日本文化史における意義 は、とてつもなく大きい。 闇夜にヘタをつけた茄子ぐらいに…。 雑誌『ホ トトギス』に載った漱石の『正岡子規』という談話筆記に、「彼と僕と交際し 始めたも一つの原因は、二人で寄席の話をした時、先生も寄席通を以て任じて 居る。 ところで僕も寄席の事を知つてゐたので、話すに足るとでも思つたの であらう。 それから大に近よつて来た」と、ある。

 「それから、二人は連れ立って、日本橋の寄席へ出かけた」と、半藤一利さ んの『漱石先生ぞな、もし』(文藝春秋)には書いてある。 その根拠が、私 にはわからない。 ともかく漱石も、子規も、よく日本橋の伊勢本という寄席 に通っていたらしい。(小宮豊隆『夏目漱石』) 漱石が、三代目の小さんを 高く買っていたことは、よく知られている。 『三四郎』にも、木原店という 寄席で、小さんを聴く話が出てくる。 與次郎は「小さんは天才である」とい い、「小さんの味ひ」を論じて、田舎出の三四郎を煙に巻く。 「獨歩氏の作 に低徊趣味あり」(『漱石全集』第十六巻)では、国木田独歩の『巡査』を評 するのに、小さんの酔漢の話を引合いに出す。 小さんの語る、酔っ払いの所 作行為を楽しむだけでよいように、筋や結構ではなく、巡査の動作行動、巡査 その人を、うまく描写してあるだけで、面白く読んだというのである。

「金玉火鉢」という言葉を、知らない方が多くなったかもしれない。 そう か、凍った湖の上でワカサギ釣りをする人なら、今でも使うかな。 わからな い人は『広辞苑』を引いて下さい。 子規が駒込追分奥井邸内の別棟を借りて おり、『月の都』という小説を書いて、大変得意で漱石に見せたりしていた頃 だ。 冬のことで、子規は雪隠(トイレのこと)に入るのに、火鉢を持って行 く。 漱石が、雪隠では「当ることが出来ないじゃないか」というと、子規は 「当り前にすると、きん隠しが邪魔になっていかぬから、後ろ向きになって、 前に火鉢を置いて当るのじゃ」と、いう。 これが、ほんとの「金玉火鉢」と いうのは、今、私が考えたオチだ。 漱石は「その火鉢で、牛肉をじゃあじゃ あ煮て食うのだから、たまらない」と、語っている。(前記『正岡子規』)

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